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2012年2月21日 (火)

労わるということ

今日は愚痴ろっかなぁ。

おととい昨日とテンション上がってたばっかりなんだけど、今日は区役所派遣、そしてその後、事務所に戻って2時間の残業をして疲れてました。明日も、派遣ではないけど残業です。何だか胃腸の調子が悪く、今日も市民の方の応対に休む暇はなく、でもお腹痛くて、待ってもらってトイレに何度も行ったりしていました。先々週インフルエンザA型に罹って休んでいたけど、B型は胃腸がやられるとのことなので、またインフルエンザだったらどうしよう、洒落になんないなぁなんて思いながら仕事をしていました。まだ序の口のたった2時間の残業、なのに今日はどっぷり疲れ切った気がしています。本当に3月4月毎日3時間4時間の残業に耐えられるのだろうか、体力は続くのだろうか、どきどき記念日は乗り切れるのだろうか、そんな不安が何度も何度も頭を過ぎります。何とか発散の時間を作らねば、休む時間も作らねば、そんな義務感でいっぱいです。

で、お昼休みや通勤のわずかな何もしなくていい時間は、いついつもの居酒屋に行こうか、それとも、折角知り合った安間さんのお店にも行きたいなとか、たまにはお仲間に会いにゲイバーに行きたいなとか、そんなことばかりを考えています。

ゆとりって、本当に大切で、何かに急かされていっぱいいっぱいになって来ると、出てくるのは不安ばっかりですよね。なんででしょうね。今のボクなら充分やり過ごせる方法がいくらでも思いつきそうなのに、ゆとりがないと本当に不安ばかりしか出てこない。今までの上手くいっていたコントロールはすべて自分のゆとりの中でやっていたんだなということを痛感します。もう絶対鬱には戻らないと思えていたのも、どこか心にゆとりがあったからなんだと思います。コーチングとかをしていると、思いやりを持ってクライアントさんを見ているので、いろんな視点に目が行くし、それを自分にも当て嵌めて自分もコントロールすることができる。でも、いざ、自分にだけ目を向けていると、そしてそこにゆとりがないと、フレームを変えたり、視点を変えたりという作業が、とても難しくなっていくんですね。視野が広がらない、そんな感じです。自分のことじゃなくて、人のことを考えていたいな、って感じます。人のことなら思いやれる。なのに、自分の不安には人を通じてでないと寄り添えないのかもしれない、というように思ってしまいます。

先月、苦しんでいた時に、コーチ仲間のお友だちに、「豆腐さんは誰とでも丁寧に接することが出来ているので、今は自分に丁寧に接してみたらどうか」と言われたことがありました。そうだ、自分には無理をさせたりボルテージを無理やりあげて成果を出すことはできるけれど、労わって寄り添えていない、自分にはやさしく出来ていない、そんな風にその時感じました。ネガティヴからポジティヴに視点をずらして、自分に暗示をかけてパワーを出すようなイメージで、今までコントロールしてきたように思います。エネルギー不足でパワーが出ない今は、無理やりポジティヴに持って行くのでなく、自分の体や心を労わることに焦点を当てたい感じです。労わる、ってどういうことなんだろう。体を労わるのは休むこと? 心を労わるのは発散すること? なんだか少しずれてるような気がします。まあ、今日も時間がなくなってきたので、この辺で考えるのはやめて、さっさと風呂に入って寝ますが、明日の通勤の時間にでも、「労わる」って自分にとって何なんだろうということを、少し考えておきたいです。

さ、ネガティヴなブログはこの辺にして、寝る準備をします。おやすみなさい。

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