フォト
無料ブログはココログ

« 体の声 | トップページ | 苛立ち »

2012年4月22日 (日)

「嬉しい」という感情

また1週間ぶりになってしまいました。先週は今シーズン最大に仕事がピークでした。あと、今週1週間頑張れば、繁忙期は落ち着きます。しかも、今週は先週よりは多少早く帰れそうです。少なくとも来週から毎日3~4時間残業というのはなくなります。先が見えてきた感じがしていて気持ち的には少し楽になりました。今月ブログを5回しか更新していないのは自分でもびっくりです。その間、ずいぶんいろいろ思うことがあり、職場以外の誰かと話をしたかったり、発散に飲みに行きたかったり、もっと自己対話の時間が取りたかったりしました。何とか仕事と睡眠・休息の繰り返しでごまかしごまかしここまで来ました。まだ1週間気は抜けないけどね。活動的なコーチング仲間をお昼休み時間とかに携帯でチェックしていると、早く時間にゆとりが欲しいとか、早く活動したいとか、ずっと思い続けていました。ゴールデンウィークに東京で遊んで羽根を伸ばしたら、明けてからいよいよ活動再開です。わくわくします。

さて、この間、思ったことのうちひとつを今日は少し書かせてください。自分のことです。

月一にメンタルクリニックへ眠剤をもらいに行っています。抗鬱剤や安定剤は完治してからはもうもらっていませんが、夜はテンション高くて眠れないので、一般の方が飲んでいる程度の軽い眠剤はまだ処方してもらっています。その時には診察ではなく臨床心理士のカウンセリングを受けて軽い近況報告をしています。最近の自己コントロールで問題はなく安心してもらっているみたいですが、どういうことをして自己コントロールをしているかを最近は話しています。先々週末のそのカウンセリングであることを言われました。「豆腐さんってあんまり『嬉しい』って言うことがないですよね」と。あ~、もしかしたらそうかもしれない、と思って最近のブログを読み返したりしてみました。う~ん、確かに「嬉しい」って単語が少ないかも、と思いました。コメントやメールもらったり、何か誰かにしてもらったりすると「嬉しかったです」とは言っているんだけど、圧倒的に書くのも言うのも思うのも、喜びを感じるときは「嬉しい」というよりは「楽しい」と表現していることが多いんですよね。

で、その直後、まんちゃんにセッションしてもらっていた時に「何を言われたりされたりすると心から『嬉しい』と感じますか」と質問され、「褒められたときかなぁ」としか思いつきませんでした。う~ん、「嬉しい」ってなんだろう、「嬉しい」ってどんな感情なんだろう、と悩み始めました。結局はよくわからなくなってしまい、それは宿題となりました。

それから何が「嬉しい」のか、真剣に向き合って考えてみたんだけど、やっぱり「人に褒められる」と「嬉しい」かなとか、自力で何か新しい気づきを得た時も「嬉しい」かなとかぐらいしか思いつきませんでした。でも、それって「そんなこと?」って思えちゃったんですよね。大事なことなんだろうけど、大したことではないように思っちゃう。

ボクは自分で考えてみて、「『嬉しい』って自分から感じにいく感情ではなくて、もらうもの」っていうところじゃないかと思い始めました。「楽しむ」って動詞はあるけど、「嬉しむ」って動詞はないですよね。「嬉しい」とは自分から動いてもらいに行く感情とは少し違うと思ったんです。ボクは喜び(「悦び」とか「歓び」の方が近いかな)をこれまで感じてたときは、大体自分から楽しみに行って勝ち得る喜びだったように思ったんです。人からあまり「嬉しい」と思う感情をもらったことがにというような。いやいや、実はそんなことはなくて、いっぱい嬉しくなるようなことをたくさんの人からしてもらっていたように思います。ではなぜそれを素直に「嬉しい」と表現しなくなっちゃったのか。もしかして、親や家族や友達から愛されてなかったから、「嬉しい」感情がなくなってしまったのかと。う~ん、それも違う、親から愛されてなかったわけではなかったことは、カミングアウトの時にすでに証明済みですよね。

じゃあ、なぜ、そんな風に思ってしまったのか。それはきっと「ゲイであることは嫌われる」という概念が、幼いころから染み付いてしまっていたのではないかと思い始めました。今は「ゲイである」ことを誇りに思っているはずだから苦しくないんだけど、きっと「ゲイであることは罪悪」「ゲイであることはいけないこと」という気持ちが、確かにずっとあったと思うんです。いや、もしかしたら今でも? ここを何とか癒してあげないと「嬉しい」感情が簡単に戻って来ないんじゃないかと。「ゲイである」という事実は、案外、ものすごく根深いかもしれません。「ゲイでもいいでしょ」ってことを見せつけるために「人として価値あるところを見せ付ける」というような、「それでプラマイゼロにしてもらう」ようなところがずっとあったように思います。

ずっと言って来た「ゲイでなにがいけないの」っていうような言い方、これは乗り越えたと思ったけれど、ボクの中にまだずっと根付いているんではないでしょうか。なんか、いびつなものの感じ方のように思いませんか。人から「嬉しい」と感じるものをもらえないから、自分からもらいに行くには「自分から楽しむ」しかない。その喜びを「似非」の「嬉しさ」としてむりやり感じようとしていたんじゃないでしょうか。

でも、これに気づけてまたちょっと「嬉し」かったんですよね。

ボクがこういう感情の感じ方とその表現の仕方にいびつな感じができてしまったのは、もちろん自分で作り上げたパターンなんだけど、そういう風にさせてしまっているのは「社会」の「セクシュアルマイノリティへの見方」がたくさん影響しているように思うわけです。その「社会への反感」が「マイノリティノパイオニア」としての活動を駆り立てるのではないかと思うわけです。全部を「社会」のせいにしているわけではありません。また、セクシュアルマイノリティの人たちがすべて「嬉しい」感情が表現できないと言っているのではありません。ボクだけの問題でしょう。でも、幼い時からの周りの影響や社会のちょっとした圧力が何らかのいびつな感情を生みやすい影響が多いと思うんですよね。

誰かにセッションをしてもらったりすると、それはボク自身がまだまだ「ゲイであること」を許しきれてない、そこを解放しなければ楽にはなっていかない、というような結論になります。そのときは、そうだと思うんだけど、やっぱり違う気がします。「ゲイである」ことはたぶん全くコンプレックスになっていないと思います。むしろ、魅力的な個性のひとつになっている気がします。でも「ゲイであること」の「罪悪感」はまだあるような気がします。普通でないことで周りに迷惑をかけているような。配慮を強いたり、何かを巻き込んだり。それは自分に対する許しではなく、周りに対する申し訳なさなんですよね。コーチングの手法では導きにくいように感じました。苦しみを解放して楽になることだけがボクらしい生き方ではない、この生きにくさをどうしても解放したくない、そう思えるのは、こうした昔から培われた社会に人として生きていくためのボクの何とかしてきた生き抜く方法だったんですよね、たぶん。

こうして、もう少し素直に「嬉しさ」を意識して味わってみようという気持ちになりました。みんなそんなことをいちいち苦しんで咀嚼しながら生きているわけではないと思うし、その必要もないと思います。面倒くさい人間だと思われるかもしれません。でも、なんか少しすっきりしました。自分をちょっとずつ知って行くって「嬉しい」ことなのかなぁ、って感じました。

さ、5月からは活動再開ですよ。正式にはゴールデンウィーク明けからですけど。とりあえずはセミコンのことに真剣に取り組みたいですが、お休みしていた無料コーチングも再開です。待ってもらってたクライアントさんはどしどしお申し込みくださいね。でも、ブログはまた週末までお休みします。最後の繁忙期の1週間を難なく熟したいですからね。あと、1週間向かない仕事に前向きに取り組みます。

人気ブログランキングへ

人気ブログランキングへ

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ
にほんブログ村

にほんブログ村 その他日記ブログ その他アラフィフ男性日記へ
にほんブログ村

« 体の声 | トップページ | 苛立ち »

日常」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1340522/44981698

この記事へのトラックバック一覧です: 「嬉しい」という感情:

« 体の声 | トップページ | 苛立ち »

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31