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2012年8月22日 (水)

気づきというギフト

早く彩光さんのことを書きたかったので、先に昨日「出会いというギフト」というタイトルで書いたわけですが、本当は、それは先週まんちゃんにしてもらったコーチングで、「豆腐さんが気づきを得たのは、行動したことがくれたギフトだよね」という表現にむちゃくちゃヒットしたという出来事が先にあったからなんですね。「気づき」を「出会い」に置き換えても同じことが言えるな、と思ったので、昨日はあのようなブログ記事になりました。

最近、怒涛のように、毎日のように、「気づき」があるわけですが、いちいちいろんなことに「気づいて」いないといけないのって、読む側に立つと面倒くさそうに感じるかもしれません。そもそも「気づき」ってそんな重要なことなのかどうかわかりません。大半の世の中生きている人たちはいちいち「気づき」にアンテナを張って生きているようにはボクには見えないです。

じゃあ、なぜボクが「気づき」にこんなにこだわるのか、そんな視点で今日はつらつら書いてみますね。

おそらくボクはうつで苦しんでいた4~5年の間、ネガティヴからポジティヴに移行するにあたって、何かしらの「変化」をしなければ、立ち直れないと思っていたんだと思います。タッキー☆に出会いカウンセリングを受けるところから劇的に変わっていくわけですが、この「変化」をするために、タッキー☆にアクセスをしたという行動がなければ、今のような目覚ましい回復はなかったわけです。独りで立ち直ることは無理だったと思いますが、人の力を借りてでも、臥せっている状態から脱却したい、社会に普通に生きていたい、という強い想いが出てきたからこそ、それが「行動」を起こさせ、「変化」につながったわけです。

生まれてから、楽に生きていくために作ってきた自分のパターンは、本当は自分を苦しめるようなパターンだったということに気づき、それを繰り返してしまってはうつを乗り切れない、という風に思ったんですね。そのパターンは自己否定だったり本来の自分にシールドをかけることだったり鎧を着ることだったり、それがいちばん強かったように思うので、その自己否定やシールドや鎧に気づいていって、それがなくても楽に生きていけるパターンを作っていきたいと考え始めたわけです。でも、ずっと、その方が楽だと信じてやってきたことだから、なかなか変えられないんですね。

「自己否定」が「苦しいこと」だったり、「シールド」が「息苦しいもの」だったり、「鎧」が「重い」ものだったりに気づけば、外したりおろしたりした方が、本当の自分は生きやすいんじゃないのか、って思うわけです。だから「気づき」がとても重要になりました。その発端が「自然体」。「自然体」でいることは「苦しい」ことだったことに気づいてあげたら、「自然体」を手に入れることができたんです。どうして「自然体」が「苦しい」ことになってしまったのかは、「ゲイであることがコンプレックス」だったり、「長男は結婚して家を継いで墓を守らなければいけないのに結婚すらできないという罪悪感」だったりしました。それが、「ゲイであることを隠さなければならない」ことになり、「無理して結婚する道を模索しなければならない」状況を作り上げていたわけですね。そうすると、自分の中にあるあらゆるひとと違う感じも何とか普通に見せようとしたり、それは欠点ばかりでなく、長所である個性まで、見なかったことにしてしまおうとするパターンになっていくわけです。こんなの苦しいに決まっていますよね。でも、渦中である自分は気づけないもんなんです。

「自分」が「変化」をすれば、「環境」も「社会」も変化していきます。それは本当に「鏡の法則」かもしれないし、「パラレルワールド」かもしれません。でも、それは「自然体」になったから、明るく振舞えるようになっていたり、優しい雰囲気を醸し出すことになったかもしれないし、ぎすぎすしなくなったかもしれないし、思いやりや愛が表情や行動に出てきたのかもしれません。そうしたら、周りが優しくなったり、興味を示してくれるようになったりするのは当然ですよね。

「進化」をしていきたいために「変化」をする。「変化」をするために「行動」してみる。それはとても難しい。でもその今までのパターンと違った「行動」が「気づき」というギフトをくれ、そこから過去の苦しかった自分への癒しが始まって、ポジティヴな自分になっていくわけです。

こんな進化した豆腐さんならこの人を会わせてみたいという人も現れ、「出会い」というギフトにもつながったわけです。

あの「自然体」の気づきから始まった気づきの連鎖。それは、

* 人に寄り添うようになったから人との関係性が切れないのではなく、過去に関係性を切られて嫌な想いがあったからだ

* いちど気づいた関係性を切れないのは、繋がっていたい思いがあるからなんだ

* 違和感を感じるのは厭なものだと感じていたけど、違和感を感じるのが大好きだからかんじてしまうんだ、それはほかの人が持ってない自分の個性という長所なんだ

* 本当の強さって、自分が強いとか弱いとか、意識しないところに存在する気がする

* 完全な孤独になるのが怖いから、人とつながりたいと思うようになったんだ

* 人に認めてもらうと、孤独じゃなくなったような気になっていたから、こんなに人に認めてもらいたいんだ

こんな感じの「気づき」として降ってくるわけです。並べてみるとよくわかるけど、結局みんな「怖れ」から来るものですよね。すべての生きにくいパターンを作り上げてきた過去にはみんな「怖れ」があってそれが怖いからいびつになっていく、怖かったところに自分自身が「最大の理解者」になって寄り添っていけば、とても自然体で楽に幸せに生きることができる、そういう風に今感じているわけです。

まんちゃんからの「気づきは行動がくれたギフト」という言葉、本当にヒットしました。おかげで、「気づき」についてこんなブログ記事を書くことができました。

あ~、なんだかめっちゃすっきりした。

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