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2012年9月

2012年9月30日 (日)

「第6回 セクシュアリティ勉強会」のお知らせ

さあ、いよいよ明日から入院です。準備は整いました。今日は次の勉強会のご案内です。

みなさんの心の中に、ほかの普通の人とどこか違う、違和感に感じていることはありませんか? それは、もしかしたら、あなたにしかない光り輝く宝石のような個性かもしれません。「性差」という視点から、その個性について一緒に勉強してみませんか。

第6回 セクシュアリティ勉強会

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日時 2012年1028日 日曜日 15:00

場所 : 名古屋市東スポーツセンター 2階 第1会議室

参加費 : 無料

参加資格 : どなたでもご参加いただけます 先着20名様まで

毎回場所が変わってすみません。

「セクシュアリティ勉強会」も今回で6回目を迎えることができました。セクシュアルマイノリティの方、セクシュアルマイノリティの方が周りにいらっしゃる方、セクシュアルマイノリティについて理解を深めたい方、どなたでもご参加いただけます。性差という視点から、個性について一緒に勉強していきましょう。今回のテーマは「セクシュアルマイノリティと教育」です。ディスカッション・講義の他にワークを取り入れようかと思っています。たくさんのご参加をお待ちいたしています。

お問い合わせ・お申し込み先

 マイノリティのパイオニア(セクシュアルマイノリティコーチ)  豆腐

  Email : torff@na.commufa.jp

  携帯mail : torff.625-dorff.729@ezweb.ne.jp

Facebook、mixiメッセージ、twitter、amebaメッセージなどからもお申し込み可能です。定員になり次第終了させていただきますのでご了承ください。お受付させていただいた方には24時間以内にご連絡させていただきますので、メールアドレスを添えてお申し込みください。(入院中は24時間以内の返信ができない場合もありますので、ご了承ください)

※セクシュアルマイノリティに強く批判的な方、誹謗中傷・からかい目的の方はご遠慮ください。

主催:豆腐(協力:セクシュアリティ勉強会実行委員会)

なお、今回も前回に引き続き、勉強会後に、親睦会を考えています。こちらは会費3800円が必要になります。親睦会の参加可否も併せて申し込んでくださいね。もちろん、勉強会だけでも結構ですし、親睦会だけの参加もOKです。たくさんの参加表明お待ちしております。よろしくお願いします。

では、少し、入院治療に専念します。携帯からの更新でちょこちょこ出てくるかもしれませんが、出てこないかもしれません。みなさん、どっちになっても、温かく見守っていてください。

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2012年9月29日 (土)

準備

昨日、夕方5時半仕事を終えて、今日から10月8日まで仕事をお休みします。入院は10月1日午後からで4泊3日ですけどね。昨日はなるべく迷惑をかけないように、懸案案件を片付けたり、いない間の引き継ぎをしたり、忙しく働きました。そのあと、入院費用を用立てて歯磨きセットと髭剃りセットを買いました。何だかすごく準備しました。今回の入院はたくさん本が読みたいな、と思っています。ゆっくり養生して、何か見えてくるものがありましたあれば、じっくり受け止めて堪能しようと思います。まあ、個室だし、痛くなかったら、いっぱいレポートしたいと思います。とにかく昨日は完璧な1日で、仕事後にもコーチングスクールに行って、いろいろ考えたりしました。講師のまんちゃんから、「みなさん、2日は豆腐さんの手術がうまくいくように祈ってあげてくださいね」と言ってもらってすごくうれしく感じました。

前回、ブログを書いてから、手術が近付くにつれていろんなことを考えました。たとえば、ちょっとまえ、鬱で寝たきりから回復していくときに、だれか憧れの人をモデルにして、生き方を真似しようと思ったことがあったことを思い出しました。その時は、そういう風にしか、方法を思いつきませんでした。そうして、何人かの人に果敢にアクセスしました。で、思ったことは、何人か、ボクの尊敬する人がいるけど、やっぱり、同じ人間はひとりとしていないんだよね、ということ。それでも、似ている人がいたら、と思って必死に何人かを追いかけて、どうやってい活動しているか、学ぼうとしました。でも、ボクは誰かの言葉や行動や生きざまを参考にすることはできても、結局自分で決めるんですよね。ボクでしかありえないスタイルや表現方法を見つけるしかないと思ったりしました。それがサイコーに楽しいし、だからこそ、不安も怖れも前例がない分膨らむんだと。誰かに100%師事するなんて、絶対無理で、別に、それでいいと思いました。その方が個性活きるしね。でもあらゆる人のいろんな部分を参考にはしていきたいです。尊敬しながら、尊重しながら。

そんなことを考えながら、入院のことを考えたりしていると、この夏は、ずっと、調子が悪いって言ってきたけど、もしかして、体調悪化しているんじゃなくて、やっと、体の声を感知できるようになって来たのかもしれないとも思い始めました。今まで、いかに体の声を聴かずに無理し続けてきたか実感して、これはじっくり体のことに取り組んでいくいいチャンスだと思いました。いつまでたっても、体を大事にできていないから具合が悪くなったのではなく、やっと体の声がちゃんと聴けるようになったのはすごい進歩だと思ったんですね。こうして、ちゃんと体の声を聴きながらでもちゃんと自分のやりたいことができる、それがいちばん幸せだなと。たぶん、3月まではまた無理をするんだろうし、またいろんな症状が出てきちゃうかもしれないけれどもね。

そんな折り、思いがけず、クライアントさんから「無事手術乗り切ってね」とお守りをいただきました。

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今回2個目のお守りです。神社などでお参りするとき、「いろんな神社にたくさん行くと神様が嫉妬するからいくつも行っちゃだめだよ」とよく言いますよね。お守りはいくつか持っていてもいいんでしょうか。でも、お守りにはくれた方達の想いがたくさん詰まっているから、どっちももちろん持って行きます。神様ともあろう方が嫉妬なんかするなんて、神様も人間っぽいですよね。

それよりも、こういうものをいただくと、ボクは入院を軽く考えてるなぁ、みんなにたくさん心配かけているなぁと感じたりしました。もっと重大に捉えないといけないかなぁ、みたいにね。でも、そんなことも途中からどうでもよくなってきて、そこから湧き上ったのは、「ボクはみんなに愛されているなぁ」という想いでした。真剣さが足りない気もするけど、どんどん嬉しくなりました。

まあ、そんなこんなを思いながら、入院の準備をしています。この体験で見えてくるものが絶対何かある気がしています。それをたくさん味わって来ますね。心配かけているみなさん、すんません。ありがとうね。全部パワーにして、ちゃんと治療して、元気に復活してみますので、よろしくです。個室だし、携帯使えると思うので、ちょこちょこ出てくるかもしれません。入院レポート、できそうだったらしますね。

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2012年9月23日 (日)

選択

金曜日、退職と起業を決めてから初めて会う親友に「決断したんだね、やっとここまできたんだね。おめでとう」と言われました。自然と涙がこぼれました。

退職と起業という大きな決断をするまでに、覚悟みたいなものをたくさんしました。それは、ありとあらゆる可能性であったり、違う角度からの視点であったり、それを自分自身で想定したりシミュレーションしたりしました。自分では気づけなかったことは、セミナーや授業やセッションで人から新しい視点を入れてもらい、そこから想定したりシミュレーションしたり、運気すらも味方につけようと、占ってもらったりもしました。そして、やっぱり、失敗はしたくないから、発表したり、アウトプットしたりして決意表明したりして、不安や怖れを払拭してきました。そうして出来上がった自分の青写真みたいなもの、もしくは設計図みたいなものを頼りにこれから、退職に向かっていったり、退職まできちんと勤め上げようとしたり、さらに起業まで向かっていったりしようとしています。退職までに今からでもできること、退職してから準備に入ること、これもかなりいろいろ覚悟したりしました。そして、邁進していくわけですが、これは、自分の中でこれまでの人生経験や知識から想定されるあらゆる選択肢と、自分で気づけない選択肢をさらに要素に加えて、自分なりの最善と思える選択肢をひとつ選択したということだと思っています。

スクールの授業やセミナーなどでも、凝り固まっている苦しくなるフレームは別の視点を与えることで選択肢が増え、生きやすくなったり、楽になったりすることがよくあります。なので、ボクはよくカウンセリングやコーチングのセッションでも、自分の開催するセミナーでも、新しい視点を持ってもらえるように、自分に気づける視点をクライアントさんにも気づいてもらえるようにしたり、セミナーやブログでアウトプットしたりしています。

そんな折に受けたセッションやスクールの授業の中で、結構具合悪くなったりしました。もちろん、たまには前向きに学べなかったり気づけなかったり、そういうセッションや授業やセミナーがあることもあると思います。でも、なんでネガティヴな感じになっちゃったのかを、見つめてみた方がいいかな、って思いました。気づけそうな何かをもらったのに、全然わからなかったし、今のボクなら簡単に咀嚼したり理解したりできそうなことだったのになぜか違和感ばかりが残りました。その正体は、今でもよくわからないんだけど、「少し立ち止まってもっと本質の問題に取り組んでみたら?」というような提案だったように感じました。たぶん、そこでやり取りした内容や授業のテーマは全然違うんだろうけど、ボクの中にはそういう印象として入り込んできました。たとえば、もう一度あえて、退職と起業について考え直すこととして、それは、ちょっと大変なことではあるけれど、自分のゲイを認めることや、母親へのカミングアウトについて取り組んだことに比べれば、とても簡単なことのように思えたりしました。なのに、全然取り組めない…。それがなんでかをよく考えてみると、たぶん退職・起業という大きな決断はやっぱり相当な決断で、その時期ややり方を軌道修正していくことくらいは考えられるんだけど、退職・起業自体を見直すような選択肢は苦しくなるんだなと気づいたりしました。大きな決断だし、初めての経験だから、そこに不安や怖れは当然あって、でも、進んでいく方のことがワクワクしてて、それでいいと思っていたわけですね。その中で、今また新たに出てくる迷いみたいなものについて、その不安や怖れを見たいんだけど、今自分は最善の選択をしたと思って進まないと、不安や怖れに崩れそうになるんじゃないかということがわかってきました。自分を守る選択肢以外には耳を貸さない感じになっているというか。今の何かを成功させたい自分を信じていないと崩れそうだという決めつけや思い込みがボクの中にあります。そういうような気がしました。それが、覚悟が足たりなかったと言われればそうだろうし、想定が甘かったと言われれば、その通りだと思います。ボクの中では、まあ、自分の性のアイデンティティを認めることや、母親や社会へのカミングアウトと同じくらい、勇気と覚悟が要った決断だったという認識でいます。

そんな感じで訪れてくる新たな視点や選択肢をどう咀嚼していくかは、新たな転機に拍車をかけることにもなり得るし、不安をあおる結果にもなり得ます。twitterで、伊藤元二さんのツイートに救われたような感じがしました。まだお会いしたこともない方だし、許可得てないけど、転載しちゃいますね。

「かけがえのない人間になりたいのなら、人と同じことをしてちゃだめよ。byココ・シャネル」

「自分にできること、あるいは夢に思い描いていることは、すべて実行に移すことだ。大胆であれば、非凡な能力と不思議な力を発揮できる。byヨハン・ゲーテ」

「目的を達しようとするとき、 邪魔立てする人に出会うでしょう。 気にすることなく、やり遂げなさい。 byマザー・テレサ」

この3つでした。要は、なんだか、迷った時は自分を信じようと思えたって思えたわけです。今のボクには後押しをされるような投げかけや、そこへの想いを認めてもらうようなやりとりはやる気が出るしパワーをもらえる、そこに邁進していくための新たな視点は力がもらえるけど、根柢の決めてしまった軸を揺るがすような気づきは不安や怖れを助長し、さらに不安や怖れに潰されそうになっていくということです。今、そういう視点や選択肢を与えられることは、本当に大丈夫か試されているのかも知れません。もちろん、言ってくれている人は好意で言ってくれているのだから、ボク側の問題なんですけどね。

また、なぜ、こんなことを敢えてもう一度ここに書いているかというと、またまた、これを咀嚼するまでに関係ない想いがたくさん出てきちゃったんですね。

たとえば、ゲイであるということ。ボクはゲイであることを自分で認めていられるし、誇りも持てていますよね。でも、ゲイってやっぱりそれでも、「穢れ」とか「不具合」みたいなものは感じちゃっています。「穢れ」は「汚れ」でなく「穢れ」ね。もし、普通の人の幸せが、「恋愛して結婚して子供作って家庭作って子孫繁栄すること」だとして、それが人間の欲求として普通にあることだとしたら、やっぱり、それは障害みたいな壁を感じるし、ボクらはどうしても生きにくくなります。そうじゃない幸せがあるとしたって、その別のもっと喜べる幸せをわざわざ探さないといけないんです。その辺は咀嚼はしているし、ボクはほかの幸せをちゃんと探せているんだけれど、やっぱり少し余分に頑張らなくちゃいけない感じはします。それってどうしてもネガに行きがちだし、ネガになりやすいです。ネガとかポジとか関係ないって言ったって、やっぱり無理くりポジにもって行くぐらいの気概がないと他の人の中に溶け込んで幸せを見つけにくいと思います。それでも、ボクは幸せを探すので、人から苦しく見られて当然な気がします。「無理してない?」「頑張りすぎていない?」ってよく言われるけど、「そりゃ頑張るさ、多少の無理もするさ」って思っちゃいます。そういうのを、納得して取り組んでるし、前に進んでいるんだから、やっぱり、自分を信じていけばいいんだよな、って思うわけです。それは、ゲイである自分を認めていくことばかりでなくて、ほかでも同じ、カミングアウトの時もそうでした。今回も同じパターンだと思ったんです。

新たな視点や選択肢は、必要な時もあるし、必要な選択肢があることは知っても、選択しない選択も必要な場合があるってことだと感じます。遠回りして体験することが必要な時もあると思うけど、苦しくなる視点や選択肢に惑わされない必要もあるという気がします。そうして、今ボクは、自分の選択が間違ってないよと、認めてもらいたい感じになっていると思うんです。でも、認めてもらわないと苦しくなるということは「弱い」ということではなくて、「後押し」になるから応援がほしい、という感じだと思うことにしました。ゲイである自分を認めていく作業をするときに、「ゲイであっても何にも悪いことではないんだよ」とか、カミングアウトして堂々と生きていきたいと思ったときに、「自己開示して楽になっていいんだよ」と言ってもらえるとパワーが出るように。

大変な想いをして退職と起業を決断したんだから、決意を揺るがすような視点や選択肢で惑わせないでくれる?というような感覚を持ったここ最近のボクでした。この感じを自分できちんと整理して、自分の中にある「認めてほしい」感覚を自分自身がちゃと認めてあげる必要があるな、そして、そこからさらに進んでいきたいな、と思ったので、今日は書いてみました。

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2012年9月22日 (土)

感謝

いつだったか、少し前、「感謝とは、してしまうもの、もしくはさせられてしまうもの」ということをここに書きました。その時、「感謝」というのは、するという意識に立った時には「感謝」でなくなってしまうと思いました。「感謝しよう」という気持ちが芽生えたら、もうそれは「感謝」ではないということをなんとなく思っていました。

多くの啓発本の中に「感謝を忘れない」という言葉がよく出てきます。それは、否定をしません。素晴らしいことだと思います。でも、ボクはうつのどん底から這い上がるときは一旦「感謝をしない」と決めました。それって、一見自分勝手なように思えるけど、自己否定感が極端にひどく、自殺念慮があるほどの自分へのダメ出しをしている状態の人にとって、感謝をするということは、感謝をする対象の人が素晴らしく思えてしまい、自己否定感を増すだけだということに気づいたわけです。もちろん、感謝しても自分にダメ出しをせず、感謝できている自分が好きだったり、感謝したい人に囲まれて幸せだったりすれば、それはどんどん感謝していけばいいと思います。ボクがその時思ったのは、自己否定につながる、自分にダメ出しをする、劣等感にしか繋がらない感謝はやめてしまえ、ってことです。そんな感謝は喜ばれもしないんです。人に感謝をしても自分にダメ出しをしないようになるまでの一定期間の緊急手当てです。一生感謝をするなということではなく、惨めにならず、劣等感も持たず、心から「ありがとう」といえる状態の時だけすればいいと思ったんです。

とはいえ、いろいろ素敵なことを言ってもらったり、支えてもらったりすれば、感謝の気持ちは出てきてしまうでしょう。そのときは、少しでも早く自分が回復することの方がその人たちの温かい気持ちに応えることにならにでしょうか。そうして、感謝をしても自分へのダメ出しをしなくなってから、何倍もの感謝をすればいいのです。ボクは、感謝をしまくって自分にダメ出しをして状態をより悪くしている方に向けて、いつもこう言っています。

ボクがしばらく「感謝」をやめて、自分に自信が出てき始め、外に出るようになり始めたころから、ボクは「感謝する」ことを再開しました。結局「感謝をすることはやめよう」と決めていたのはたぶん1箇月間くらいだったんだろうな、と思います。で、その当時まだ障害者手帳を持っていて、名古屋の市バス地下鉄をタダで乗せてもらっていたとき、地下鉄はなかなか難しいけれど、バスに乗るときは運転手さんに「お願いします」と言って乗り、降りるバス停が終点の時は前から降りて運転手さんに「ありがとうございました」というようになりました。そのころたまに被害者意識強すぎたのかもしれないけれど、「タダで乗りやがって」というように「チッ」っていう運転手さんがいたり、運転がとても乱暴な運転手さんだったりするときもあって、「あんな運転手にお礼なんて言わなくてもいいよ」と一緒にいた友人に言われたものでしたが、その時は「いや、ボクはタダで乗せてもらっているこの制度にお礼を言っているんだから、どんな感じの悪い運転手さんにもお礼は言っておく」とか言っていました。手帳を手放し、ちゃんとりょきんを払って乗っている今でもこの習慣がなくならず、ついお礼を言ってしまいます。お金払って乗っているのだから、ちゃんと目的地まで乗せていってもらうのは当然だという見方もできるけど、別に悪い習慣でもないので続けています。

先日、ボクが退職についての覚悟を決めた時に、「感謝の気持ちが書かれていない」というご指摘を受けました。確かにその時、ここに、引き留めてくれる上司や、ボクの仕事を認めてくれている同僚たちについての、感謝の気持ちは書きませんでした。もしかしたら、その指摘をしてくれた方も、ボクに対して「感謝が足りないね」と言ったわけでなく、単に「感謝について書かれていない」ということを指摘しただけかもしれません。ただ、その時はブログに書きたかったのは、退職に至る決意だったり、熱さだったり、迷いだったり、不安だったり、迷いや不安の払拭だったりするわけです。「感謝」については、ボクと上司、ボクと同僚の間でラポールが取れていればそれでいいことで、何かを決意したり、何かを強く熱く語りたいときに、感謝をわざわざ第三者に伝える必要はないと思います。それは、なぜボクが辞めるのをわざわざ3月に決めているか、欠員を作らないようにしているか、仕事に滞りなく引き継ぎをしようとしているかをみれば、すぐわかるはずです。そこを見もせず確認もせず、「感謝が足りないね」と言われた気がして、ちょっと大人げない行動をとったりしました。もちろん、その「感謝」のせいで気持ちが揺らぐことについて書きたかったり、感謝をしたりされたりして得られたものについて書きたいときはその辺は書きます。当事者間できちんと感謝の気持ちを伝えていくことは、関係性を築いていくうえでとても大事だと思います。でもそれは、感謝しようとして出てくる言葉ではなく、感謝の気持ちが出てきたからきちんと伝えようというスタンスでいたいと思っています。

まあ、特定の方を傷つけたことには変わりないので、深く反省しています。このことを受けて、改めてボクにとって「感謝」というものがなんであるか、書きたくなりました。たぶん、そういう大きな決断をした時期でもあるし、また手術も控えていてナーバスになっているかもしれないです。

そうそう、感謝といえば、今日、お友だちから、「無事、手術乗り切ってね」とお守りをいただきました。

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ひとりで乗り切るつもりでいたから、すごくうれしかったです。ボクって愛されてますよね。

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2012年9月17日 (月)

敬老祝賀会

おととい昨日と休息に充てましたが、いまいち疲労感回復しないまま、今日は無理やり起きて、母のいる施設の敬老祝賀会だったので会いに行ってきました。午前中は、施設からの報告と説明でした。そして、昼前から、入所者の家族との懇親会でした。

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と、去年まで、ここの食堂でほかの入所者家族の方々と交流してたんですが、今年春の懇親会から母は腰が悪くなって動くのが大変ということで、母の部屋でいっしょにお弁当をいただくことに。今年、春の懇親会はボクの本業が多忙だったんで姉に代わりに行ってもらったんで、部屋で母と親子水入らずというのは久しぶりでした。

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まあ、こんな感じでありきたりのお弁当でしたが、今日の母は比較的調子が良く、刻み食にすることなくそのまま食べるということで、エビの殻を剥いてあげたり、魚やエビのてんぷらのしっぽを取ってあげたりしました。

そして、数時間ひととおり愚痴などを聞いてあげたり、今度のボクの手術の説明などをして、穏やかな午後を過ごしました。

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とは言っても、安定のために公務員を辞めないで欲しいという切なる願いを持っている母に、転職の話はしませんでした。ってか、辞めても話さないかも。元祖自己開示ストのボク(はじめて言ったけど(笑))としては、悔しいところだけど、今日はお年寄りを敬う日ですからね、母に和んでもらえればそれでいいかな、と。最近、あんまり、覗いてなかったから、春と秋の懇親会くらいはね、会いに行こうと思います。

今日は、穏やかな気持ちになれた1日でした。さ、また明日から働こ。

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2012年9月16日 (日)

意思表明 その3

ずっと、夏に入ってから体調いまいちでしたが、昨日、最後の術前検査で、血圧・採尿・採血・肺活量・胸部レントゲン・腹部レントゲン・心電図・心エコー・造影剤用いてのCT…、を済ませました。くたくたになって具合悪かったです。ホント、検査って体に悪いと思う(笑)。本当はこのブログを昨日書きたかったのだけれど、へろへろだったので、今日になりました。

まあ、それはそれでいいとして、前回、ブログを書いた翌日の13日に、管理課長との面接をしました。うちの課長と一緒に3者で面接しました。

今の職場は体が続かないこと、どうしても仕事としてやりたいことがあること、鬱を治すのに取り組む段階で自分を活かしてやりがいもいちばん感じそれで生活をしていきたいと思っているのがそのやりたいことであること、今の仕事をやりながらできる限りの準備をしてやっと独立の時期が近付いてきた準備が整ったような気がすること、それに対する覚悟と熱意が強くあること、そこに出てくるリスクも充分見つめていると思うこと、5月の課長面接の段階では自分の体調を考慮して転属を願い出たものだったということ、そこからさらに向き合って来年3月で退職したいという結論になったこと、せめて欠員を出さないために年度末3月の区切りを考えているということ、休職からリハビリを経て正式に仕事復帰するまでに多大な迷惑をかけたのに復職にできる限りの配慮をしてもらって感謝しているということ、それも含め今度の転属希望について働きやすい環境を考えて準備してもらっていたことにも感謝しているということ、なのにやっぱり退職を選ぶということに申し訳なさもあるということ、今の自分のチームの状態もできる限りいい引継ぎをするし退職までは精いっぱい働かせてもらうつもりでいること、復職から現在の状態まで協力していただいたことに応えるためにもう少し恩返しをしてからの方がいいかもと課長の説得にずいぶん気持ちが揺れたこと、そして、挑む気持ちではなく淡々と決意を伝えたいと思ってその日に臨んだということ、それを伝えてきました。課長と同じく、考え直さないかと一旦は止められました。それに負けまいと応戦するのではなく、大切に受け止めたうえで決意が変わらないことをさらに伝えました。そして、管理課長から「これからしようとしていることは素晴らしいことだと思います。たくさんの人を救ってあげてください」と言ってもらえました。うちの課長は「管理課長も、きまっちゃん(課長はボクをそう呼びます)に言い負かされちゃったな」とぼそっと洩らしていました。「やっぱ、戦いになっていたのかなぁ」とか、そんなことを思いつつ、まあ、ボクの要望は通り、来年度退職者として人事が進みます。たぶん、書面の提出は来年に入ってからになります。

まだ、所長へのあいさつがあるかもしれませんが、そこで何か大きな展開がない限り、この退職に関して伝えるというハードルは職場では乗り切ったのだと思います。なので、別の展開がなければ、この「意思表明」のシリーズは今日で一応終了です。また別の新しい想いや気づきが出てきたら、違うタイトルで書くかもわかりませんが。何か新しいことを始めたり変えたいと思った時には、多少の犠牲も伴い、失うものも多いかと覚悟していましたが、今のところは「応援してもらえる」スタンスで「退職」を「卒業」のようにけじめをつけられそうです。喧嘩別れにならなさそうなのがとてもうれしいです。

前回のブログで職場や上司への感謝の気持ちが書かれていないことに対するコメントをある方から Facebook でコメントいただきました。今回は管理課長に何を話し、どう理解され、どういう結果になったのかを伝えたかったので、そこで話した内容を詳しく書きました。

ボクが何をブログに書いていこうとしているか、感謝は感謝としてブログに書きたくなったら書くかもしれないことなどは、また別に記しておく必要があるかもしれませんね。

今日は、とりあえず、ご報告だけにとどめます。たぶん、これで、ブログで伝えたかったことは、なんとなく伝わると思うので。

いろいろ応援してくれているみんなありがとう。まだ伝えただけなので、これからも応援よろしく。

明日は、敬老の日、施設の敬老祝賀会に行ってきます。

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2012年9月12日 (水)

意思表明 その2

意思表明シリーズはあと1回か2回続きます(笑)。

先日、課長・係長・主査などに、退職の意向を伝えたことはここで書きました。そのうち、課長からは考え直すように言われていました。実はそのさらに上との面接が入院期間中に嵌ってしまうこともあり、それを課長に伝えたところ、それより前に決めなきゃね、ということになりました。もうこの時点で、課長はボクの意志が固そうなので、あきらめかけているわけですが、ボクはその上との面接が所長ではなく管理課長であることに気づきました。もう課長からその意思は伝わっているようで、明日に前倒しになりました。明日、切々とこの思いを管理課長に話すことになりました。ボクの次の異動先はもうほぼ用意されているようなものなので、もう少し、勤めてみないかという説得が明日入ることになります。ここを乗り越えて、いよいよ所長へのあいさつ、そして、退職への手続きとなります。

今は、戦闘モードには入らず、でも、上からの説得には応じず、怯むことなく、ただ淡々と自分のこれからの人生をどうしていきたいという想いがあるかを伝えるだけという気持ちです。明日のお話、そのあとの所長へのあいさつ、とまだふたつハードルがあります。まあ、でも、ここまで来たら、きちんと伝えるだけなので、肝は座っているんですねぇ。というか、もう今更「乗り越える」とか「腹を括る」とか「理解してもらう」とかいう時期は過ぎて、ただ、伝えるのみです。

ということで、この「意思表明」シリーズも、管理課長の面接と所長へのあいさつを無事こなしましたというご報告が別々になるか、ふたつ合わせて報告するか、だけの違いということになりそうです。

みなさん、この物語の行方を楽しみにしていてください、と言っておきます。もう物語の結末は決まっているんですよね。きっと、これから公務員やりだしてからの30年間が走馬灯のように巡り、感慨深くなっていくことでしょう。もう、苦しかった50年も自分で癒せたしなぁ、胆嚢と一緒に、いろんな要らないものを捨てていくんだろうな、と思います。目の前の解放を手にするイメージが出来上がっている今、もうハードルも何もなく、ただ、「伝える」「話す」、これは、自分を表現することが大好きなボクにはたやすいです。

明日、気持ちよく伝えられるように、このあと、すぐぐっすり寝ておこうと思います。

To Be Continued...........

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2012年9月10日 (月)

意思表明 その1

今日はくたくたです。明日、病院で手術用の検査をひととおりするので、お休みしますが、こちらも結構大変かもしれません。MRI、心電図その他もろもろ。

今日は、手術に至った経緯を課長に報告しました。そして、転属願いを取り消し、退職の意向を伝えました。また、決死の覚悟で報告することになるので、いちどにすませようと挑みました。意向は受け取ってもらえたものの、収入の目途は立っているのか、どんなヴィジョンを持っているのか、体力精神力もつのか、いろいろ訊かれました。そのうえで、もう少し様子を見たらどうかと今はまだ止められています。改めて決心出来たら一緒に所長のところに行こうと言ってもらえました。転属の話も進んでいるようです。まあ、相当な覚悟はしたので、揺らぎませんが、またあらためて、やっぱり、転職の道を歩みたいと数日後には言うつもりです。人事にこれ以上迷惑はかけられそうにありません。すでに、覚悟をしているので、今日話した内容を同じように係長と主査にも話しました。そして、話しきれていなかった同じ仕事のグループのメンバーにも全員にきちんと誠意を持って伝えました。腹括ったなぁ。もう後戻りできねぇなぁ。追い込んだなぁ。まだ、もうひと山あるけど、へとへとになったけどすっきりしました。そのあとの今日の窓口当番もすごく忙しくて、帰りのバスで寝過ごしそうになるほど疲れ切りました。所長にも丁寧に伝えられるかなぁ。まだ、そのあとも手続きの山です。

こんな大きな人生の転機、すごいことだと自分で思います。とてもワクワクします。ほかに相談員の申し込みや契約、セミナー開催を増やしたり、なにより、セッションのクライアント獲得を月に30人くらいは軌道に乗せていかないと、今の生活水準はキープできません。最初からそれは難しいとは思っていますが、起業までにそれに近いところまでもっていきたいので、今日はそれをやる覚悟だと話してきました。保証は何もないよね。もちろん、節約もして、生活水準を落として考えることも努力はしているけど、プランは結構厳しい見積もりです。でも、本当に向き合ってみて、宣言してみてすっきりしました。まだスタート地点にも立ててないわけだけれどね。

退職あたりまでに、捨てるものをできる限りすべて捨て、再来年の起業までにじっくり、ゆっくり過ぎない店舗で蓄えるべきものを貯めていきます。一旦捨てる職歴、プライド、安定。そして蓄えていく、経験、知識、パワー、自信。固まっていきます。揺らぐものが何もないです。辞めるまで今の仕事は手を抜かず、その中でやれるだけの準備をし、辞めないと難しい準備は辞めてからしっかりする、その覚悟は完璧にできたように思います。捨てる中に胆嚢も入っているわけだけど、そういう意味では蓄える中に体力というものも入ってくるのかな。

今日は決死の行動をした1日だったので、とにかく自分を褒めておいて、そして労わっておこう。まだまだ序の口だからな。

みんな、応援よろしく。

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2012年9月 9日 (日)

胆嚢摘出手術決定

次いつ書けるかわからないので、もうひとつ記事を書いてしまいます。今日ふたつ目のブログです。

みなさんにご心配おかけしていますが、ついに胆嚢摘出手術をすることが決まりました。

昨日、病院に行き、腹部エコーを撮って、主治医に胆嚢についてどうするかを相談しました。画像を見せられて、ここに胆石がありますよ、と。あ、結構広範囲だな、と思いました。そして、胆嚢腺筋症(アデオミオマトーシス)の方は、進行はしてないけど、前のままですよと。ちなみに胆嚢腺筋症とは胆嚢の皮が厚肥するという病気です。ボクは、ストレスからだと主治医に言われ、胆嚢が胃を圧迫するほど大きくなったら、いつか取ることになるかもしれないとは言われていました。最近はストレスを余り感じてないから、さらに厚肥していることは考えにくいと思っていたけど、これだけ思考しまくっていれば見えないストレスをためているかもしれないよね、とは思っていました。

結局、放置するか、超音波で胆石を拡散するか、胆嚢を取ってしまうかは、手術をできる病院との話し合いにしてくださいと言われ、また、次の病院への紹介状が出ました。その足で、少し大きな病院へ行きました。

そこで言われたことは、「取るしかないですね」とのことでした。胆石を散らせるかどうかは別にして、胆嚢腺筋症は良性の腫瘍だけど癌化しやすく、胆石を作るようになってしまうともう胆嚢としての機能はあまり果たしていないし、これからも石を作るようになるので、切除しましょうとのことでした。ちなみに胆石は子指先ほどの大きいのがふたつ以上はあるようです。

とはいえ、お腹を切ることはなく穴をあけてのファイバースコープによる内視鏡手術になるので、翌日から歩けるし、入院も3泊4日、仕事休むのも1週間、ほぼ今までどおりの日常になるらしいです。あと、胆管の方にも石がないかの確認をする必要があって、あさって火曜日(11日)にMRIを撮り、その他の心電図など手術前のひととおりの検査をその日のうちに済ませます。もし、胆管にも石があれば、十二指腸から内視鏡で掻き出すという、別の同じような穴をあけてのファイバースコープによる手術が増えることになります。このままでいけば、10月あたまの入院・手術になりそうです。

で、自分でびっくりしたのが、手術が決まって、すごく安心したということです。不謹慎かもしれないけれど、自分の今悪い部分を取って捨てることへの満足感みたいなものがあります。胆嚢には胆嚢の役割があると思うので少し言い方に罪悪感があるんだけど、「胆嚢さん、ごめんなさい、いままでありがとうね」って感じがしているんです。これからひと月間で自分の今くすぶっているどす黒いものを全部胆嚢に集めておこうかなという感じです。わかってもらえるかなぁ、変ですよね。

最近、よく思うんだけど、心臓も脳も内臓全部、もっと言えば細胞のひとつひとつは人間の意志のようなものを持っていなくても、きちんと動き続けてくれていることに偉大さを感じるんです。体を壊しがちだし、体の声に耳を傾けずに、動き続けているから余計かもしれません。つまり、人間の体は人間の生存本能に従って動いてくれていると思うわけです。たとえ、死にたいと思ったって、脳や心臓が止まるほどの無理な衝撃を与えない限り、われわれは寿命まで生き続けるということです。生きとし生ける者たちです。それを自分の都合で切ったり貼ったりするのはどうかと思うときがあるんですよね。でも、生存本能は人間の意志の方にもあるのだから、生きたい人はいろいろ治療したり、健康に気を付けたりして、生きていくんですよね。

今回はボクの勝手な都合により、「胆嚢さん、ごめんなさい」となったわけです。そしたら、真剣に治療しようという気になったということです。

これからは、やっぱり、もっと体の声に耳を傾けて、このボクの心を受け止めてくれている大事な体という容れ物を大切にしたいと思ったりするのでした。

ちょっと、さっき書いたブログとは別で更新したかったので、今日はふたつです。いつも長くてすんません。まあ、でも、これからもきっと長いです(笑)。

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ミラーワールド

すっかり、毎日更新ではなく毎週更新になってしまっていますね。今の調子は、体との折り合いの結果のペースなので、よろしくお願いします。

数か月前、コーチングスクールの仲間と8時間しゃべってた話を書きましたが、今日は親友と9時間もしゃべってしまいました。朝、少し調子が良かったので、気楽に話せる親友とお茶したいなと思ってメールしたのが9時半ごろ。10時くらいから14時くらいまで喫茶店でしゃべり、そのあと、別の親友と合流してまたしゃべり、帰ってきたのが19時でした。今日は休息に充てるために予定を入れないでおいたのに、なんてことでしょう。でも、最近のもやもやを全部話してすっきりしました。

実は、ブログに書くか、すごく迷っていたことがあって、ずっと思考していたのですが、今日その親友と話してみて、なんとなく書く気になったので書いちゃいます。本当は、ほかにも書きたいことがたくさんあるし、最近交流のある大事なお友だちのことを書きたいものあります。でも、今日は、この話題で。

何度か「鏡の法則」「ミラーワールド」「パラレルワールド」について書いてきました。コーチングスクールの授業でも、「現実(世界や社会、または宇宙でもいいです)は自分が創り出している」という授業もあります。そして、それ以外の啓発本にも、いろんな人が唱えている宇宙からのメッセージ的なものも同じようなことがたくさん書かれています。このことで、自分を高めて行ったり、ネガティヴを咀嚼しようとしたりということが、本当にやりやすいので、日々取り入れてやっています。

この前、大きな気づきがあって、Facebook などにつぶやきました。いくつかあります。ひとつ目は、「ボクは50年分の人生のリベンジを今しているんだ。それでこんなに我武者羅だったんだ…。どうりで闘いモードなわけだ」ってことです。ある方とのコーチングセッションの時に、「豆腐さんの話を聞いていると何か『リベンジ』というようなイメージがある」と言われました。その時は、今までの苦しかった家族との関係が「家族へのリベンジ」かもしれないと感じてしっくりしていました。でも、家に帰ってきてずっと引っかかる「リベンジ」という言葉にずっと考えをめぐらせていたら、リベンジの対象は家族ではない、自分の苦しかった50年を何とか今から取り戻そうと必死になっているんだということに気づいたわけです。「50年、辛かったんだね…」、そう言って自分を癒してあげようと思いました。相当、楽になれそうな気がしました。「もう充分苦しんだよ、これから先は大丈夫っ!」そう言っているもうひとりの豆腐さんがいました。50年間、セクシュアルマイノリティやうつやなんかで、社会や家族やいろんな違和感に苦しんできて、自己開示という方法で自分を楽にしてきたつもりだったけど、マイナスだと捉えていた苦しい50年間に終止符を打ったと思っていました。でも、なんだかいつも人からは苦しそうに見えるボクがいますよね。スーパーポジティブなんだけど、どこかまだ苦しそう。それは、自分自身がまだ過去を苦しいものとして汚点のように捉えていたということです。今までの苦しい50年間を取り戻すように今がむしゃらにスーパーポジティブになっている自分に気づきました。

そしてもうひとつ、先週末の気づき。それは、コーチングスクールの「怖れを見る」授業の休憩時間に急にやってきました。なんだったかと言うと、ゲイであることを自己開示していくことは、それをよしと思わないひとの反応を怖れているということでした。会った途端に名刺を渡したりカミングアウトしていくことは「嫌なら近づかないで」と強烈に拒絶しているからだということだと感じました。自分を表現してるとかいくらでもいい風にも言えるけど、怖れもあるということですよね。そして、ブログ以外からカウンセリングやコーチングの申し込みをくれる方にも、「もしブログを見れる環境にある人は読んでみてボクのひととなりを見てから、本当にボクのセッションを受けてみたいと思ったら予約してください」とこれまで言って来たけど、すごく傲慢な気がしてきました。それは「気に入らなかったら来ないで」という強烈な拒絶のような気がしたし、そう思う人たちがアクセスしてくることへの強い怖れではないかと気づいたということもありました。どちらも強い怖れと拒絶です。これから生業とするならない方がいいフレームかも、と感じました。今はそれがないとまだバランスが保てないのかもしれないですね。ネガティブに捉えたとか、そういうことではなくて、それに気づけておいてよかったな、と素直に思いました。

実はそういうような気づきは「現実は自分が創り出している」という感覚で捉えるととてもしっくりくるんです。ゲイであることもうつになることも、自分で望んでなったこと、今は心から感謝できるから自己開示もできるようになり、堂々といられるということなんですよね。でも、ずっとずっと苦しかったわけです。

人それぞれ、いろんな苦しみを抱えているし、それは事実の深刻さの大小に関わらず、その人が重大なものとして捉えていれば相当苦痛なわけで、誰がどのくらい苦しんでいるかはわかりません。ただ、大した苦労もさほどしていないように思える人たちが、そこらへんに転がっている苦しみを乗り越えて「現実はあなたが創り出しているんですよ」とか言っていると、少し腹が立ってくるわけです。その人が言っていることは一点の曇りもない自信で、ボクは何も反論ができないし、反論する気もないです。受け入れています。でも、そういう人に向かって言いたいです。「もし、現実は自分が作り出しているということが本当だとして、目の前に、いじめで苦しんでいるような人や、性的虐待を受けて苦しんでいるような人が現れたとき、あなたは平気で『その現実はあなたが創り出したものなんですよ』と本当に伝えられますか」と。本当の苦しみを乗り越えてきた人には、そんなことはできないはずです。その渦中にいる人たちは、その事実さえ受け入れられずに苦しんでいるんです。簡単には吐き捨ててほしくはない、とボクは思ってしまうんです。これから、そういうことを仕事にしようとしているボクにとって、まず、その事実を受け止められる状態にまで、持ち上げてあげるということが先なんです。それから丁寧に自分の生き方に反映してもらっていくわけです。

「現実は自分が創り出している」これを腑に落とすと本当に素晴らしい人生になっていくと思います。でも、簡単に面白おかしく、宇宙人とかひっぱり出してきて、知ったような口を叩かないでほしいんです。本当の苦しみを知ってちゃんと乗り越えた人が自身の体験を持って自らの奥深くの叫びのような言葉として、しっかり伝えてほしいと思います。

こんなことを言えるほど、ボクが本当の苦しみを乗り越えたかどうかすらわからないのに、ここに書くというのはどうかと思って、非常に迷いました。でも、今はそう心から思っています。

特に、心を扱っている人たち(「心を扱う」という表現が適切じゃない気がしますが)は、そこを充分踏まえて、発言してほしいと思います。自分への戒めも含めて言いました。

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2012年9月 1日 (土)

完璧主義と宣言

ここひと月近くの不調は熱中症でした。体の熱さ、微熱、頭痛、就寝中のこむら返り、倦怠感。そこそこ自分では気を付けていたつもりでしたが。まあ、ボクの熱中し過ぎは、熱中症になるほどだから気を付けないとね、ということでした(笑)。

今日のブログは長くなりますので、うんざりする方はスルーしてください。でも、読める方は結構なことを書きますので、小説でも読む覚悟(長さのことね)で読んでくれたらうれしいです。

先週末から、相当苦しみました。特に24日から27日の4日間は壮絶でした。数人の方から、独立する前に取り組んだ方がいいことについて、真剣に取り組むつもりでいたことに取り組みかけて、やめる決断をしました。投げ出すのではなく、ちゃんと向き合ってやめました。その内容を詳細に説明したいのだけど、うまく書けそうにないので、ちょっとやめておきますが、そこから出てきたことがたくさんあったので、それを今から書きます。時にはやめる勇気も必要ですね。そして、きちんと説明をして、迷惑は少しかけたけど、丁寧に説明してやめました。これはボクの成長につながる感じがしました。

ここで大きく自分の中に出てきたのが、ボクが公務員であるということについて。辞める決心をしてから余計にボクにとって公務員であることはなんだったかを考え始めてしまいました。公務員が嫌だということも含めて。普段から毎日公務員のあり方や何かのブロックについて悩み続けて、仕事したり食事したりしているわけではないです。ただ、すごく抵抗感や嫌悪感が出てくる出来事が起こったので、それはどこから来るものなのかを真剣に見てみたわけです。徹底的に報酬をもらわないことでの独立準備を、公務員を辞める前からできる範囲でしているわけだけど、結局のところ、副業をすることでも公務員でいることでもない、完璧主義な自分が見えてきたという感じがしました。それで結構すっきりしました。嫌な公務員だけど、公務員を辞めるまでは、ボクの目指す公務員像で仕事していきたいと思っていることに気づいたんですね。独立のための準備は、退職後スムースに生活していくためには必要なことだけれど、公務員である間は取り組まないでおいた方がいいこともあって、それはやめておこうと思ってしまったわけです。

たぶん、ボクは公務員をしながら、独立の準備をすること自体をあまり赦せていなかったわけですね。それを公務員の「職務専念義務」と結び付けてしまっていたんです。公務員が、プライベートで遊んでいけないわけでもないし、ギャンブルやっていけないわけでもない、でも、ボクにとってはこの30年間で私生活も公僕であらなければならないというフレームが出来上がっていました。

「完璧主義」とは、ボクにとっては、本当に「完璧」でありたいということではありません。「完璧」の「璧」は「壁」ではないことは、みんさん、よく知っていることだと思います。「壁(かべ)」ではなく「璧(たま)」です。つまりは「玉を完全に磨き上げること」を「完璧」と言うんですよね。磨き上げたところで、指紋が付いたりするから「完璧」な状態はあり得ないんです。人生において、自分が「完璧」であろうなんて傲慢な考えは持っていません。人がもういいだろうというところよりも、もっと100%に近い部分でしか満足できない人のことを「完璧主義者」と言うんだとボクは思っています。「完璧」があり得ないなんてことは重々承知しています。過去に完璧主義で何度も苦しい思いをしているのだから。ここ2年でそこをかなり緩めたつもりでいました。でも、実は人に対して完璧を求めなくなったというだけで、自分に対してはあまり緩んでなかっということに気づいたわけです。それを公務員でいることと独立することの両方から見て、わかってしまったということですね。つまり、辞めるまでの間はある程度きちんと公務員でいたいなと、思っている自分に気づいたということです。どこまでやることが、また、どういう姿勢でいることが、ボクの中で「きちんと公務員でいる」ことかはうまく線引きできていないんだけれど。

「完璧主義」的な性格をプラスと生かすか、処世術のためになるべく表に出さないようにするかは、ボク次第ですよね。そして、短所でもあるかもしれないけれど、きちんとしているという長所でもあると思っていて、ボクはそこの扱い方を理解せずしてまた同じような失敗をしたくないから、今回確認したんだろうと思います。

で、公務員をしながら、とある何かに取り組むことを辞めたりしたのも、独立や退職がそれと別のとこにあって、そういうことをいっしょくたにして取り組んでいくことはしにくいから、切り離すことにしたら、今は取り組まないことにすることになったということです。ボクにとってある程度ちゃんと自分が見えていればなんでもいいんだと思います。自分で見えてない自分があるということも含めて。

そんな思いを抱きながら、先週、和合之徳の徳田さんにあらゆる面から占ってもらいました。またここで、占いに対する想いを述べておかないと誤解を招くかなぁ…。まあ、簡単に言うと、悩みを占い師にぶつけるのではなく、決めたことをどこで始めたらいいか、いつ始めたらいいか、の指標のひとつにしているというような感覚です。何も運気の悪い時にわざわざ始めなくてもいいかな、と思っている感じです。

徳田さんとはいろんな話をして、いい方に知り合ったというのはあるけれど、今日は徳田さん自体のことではなくて、そこで言われた結果と、それを受けてボクがどういう方向性を決めたかを少し書きたいんですね。

徳田さんによると、「来年の誕生日(6月25日)まではいろんなものを捨てていく時期」で、「再来年節分以降が始めるのにふさわしい時期」だということを言ってもらいました。「捨てること」は辞めることかもしれないし、公務員を辞める決意を捨てることかもわかりません。その両方を今の自分に当てはめて総合的に見てみると、来年3月に仕事を辞めて再来年2月に完全に起業をする、というのが普通の見方かな、と感じました。公務員のうちにやれることとやれないことがあると分かってしまって、退職と起業をいっしょにするという選択肢しかないという視点を捨てたので、退職してから起業するまで少し時間を作るというのは考え始めていました。なので、とてもやりやすい感じになる運気を聞いて楽になりました。ただ、辞めてから1年近く準備にかけるというのが経済的にどうなんだろう、その間はバイトでもするかどうかとかいうことは想定しておかないとな、というのが今の正直な気分です。

何気なく、無料での活動は来年3月までですよ、とみんなに宣言したい感じで書いてみた感じもあるし、今ここで書いてしまうのがいいのかどうかはよくわからないんだけど、書いてしまいたくなったので書いてみました。

あとは、課長に伝えた「今の仕事は健康を損ねるから来年は転属を希望する」というのが、さらに上に伝わると思うので、秋の所長面接のときに「転属希望もなくなって辞めるつもりでいる」とうことをどういう形で伝えるのかをちょっと考え中です。やっぱ、直前まで言わずに辞めてしまって欠員を作るというのは、ボクにとってあまり気持ちのいいことでないので、秋までに決めて言うんだろうな、と思います。

これを書いてしまうということ、言ってしまうということは、宣言に近いので、重いですが、すっきりしました。今までより、さらに真っ直ぐ進みますね。今、捨てるべきものを捨てる準備をしたくなってきました。胆石のこと、方向が決まって、落ち着いたら、準備も必要だけど、捨てることをしていきたいな、と意欲が出てきています。ものに限らず、環境とかね、無意味なプライドとか観念とかね。

長いの読んでくれた人、ご苦労さまでした(笑)。ありがとう。

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