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2012年9月22日 (土)

感謝

いつだったか、少し前、「感謝とは、してしまうもの、もしくはさせられてしまうもの」ということをここに書きました。その時、「感謝」というのは、するという意識に立った時には「感謝」でなくなってしまうと思いました。「感謝しよう」という気持ちが芽生えたら、もうそれは「感謝」ではないということをなんとなく思っていました。

多くの啓発本の中に「感謝を忘れない」という言葉がよく出てきます。それは、否定をしません。素晴らしいことだと思います。でも、ボクはうつのどん底から這い上がるときは一旦「感謝をしない」と決めました。それって、一見自分勝手なように思えるけど、自己否定感が極端にひどく、自殺念慮があるほどの自分へのダメ出しをしている状態の人にとって、感謝をするということは、感謝をする対象の人が素晴らしく思えてしまい、自己否定感を増すだけだということに気づいたわけです。もちろん、感謝しても自分にダメ出しをせず、感謝できている自分が好きだったり、感謝したい人に囲まれて幸せだったりすれば、それはどんどん感謝していけばいいと思います。ボクがその時思ったのは、自己否定につながる、自分にダメ出しをする、劣等感にしか繋がらない感謝はやめてしまえ、ってことです。そんな感謝は喜ばれもしないんです。人に感謝をしても自分にダメ出しをしないようになるまでの一定期間の緊急手当てです。一生感謝をするなということではなく、惨めにならず、劣等感も持たず、心から「ありがとう」といえる状態の時だけすればいいと思ったんです。

とはいえ、いろいろ素敵なことを言ってもらったり、支えてもらったりすれば、感謝の気持ちは出てきてしまうでしょう。そのときは、少しでも早く自分が回復することの方がその人たちの温かい気持ちに応えることにならにでしょうか。そうして、感謝をしても自分へのダメ出しをしなくなってから、何倍もの感謝をすればいいのです。ボクは、感謝をしまくって自分にダメ出しをして状態をより悪くしている方に向けて、いつもこう言っています。

ボクがしばらく「感謝」をやめて、自分に自信が出てき始め、外に出るようになり始めたころから、ボクは「感謝する」ことを再開しました。結局「感謝をすることはやめよう」と決めていたのはたぶん1箇月間くらいだったんだろうな、と思います。で、その当時まだ障害者手帳を持っていて、名古屋の市バス地下鉄をタダで乗せてもらっていたとき、地下鉄はなかなか難しいけれど、バスに乗るときは運転手さんに「お願いします」と言って乗り、降りるバス停が終点の時は前から降りて運転手さんに「ありがとうございました」というようになりました。そのころたまに被害者意識強すぎたのかもしれないけれど、「タダで乗りやがって」というように「チッ」っていう運転手さんがいたり、運転がとても乱暴な運転手さんだったりするときもあって、「あんな運転手にお礼なんて言わなくてもいいよ」と一緒にいた友人に言われたものでしたが、その時は「いや、ボクはタダで乗せてもらっているこの制度にお礼を言っているんだから、どんな感じの悪い運転手さんにもお礼は言っておく」とか言っていました。手帳を手放し、ちゃんとりょきんを払って乗っている今でもこの習慣がなくならず、ついお礼を言ってしまいます。お金払って乗っているのだから、ちゃんと目的地まで乗せていってもらうのは当然だという見方もできるけど、別に悪い習慣でもないので続けています。

先日、ボクが退職についての覚悟を決めた時に、「感謝の気持ちが書かれていない」というご指摘を受けました。確かにその時、ここに、引き留めてくれる上司や、ボクの仕事を認めてくれている同僚たちについての、感謝の気持ちは書きませんでした。もしかしたら、その指摘をしてくれた方も、ボクに対して「感謝が足りないね」と言ったわけでなく、単に「感謝について書かれていない」ということを指摘しただけかもしれません。ただ、その時はブログに書きたかったのは、退職に至る決意だったり、熱さだったり、迷いだったり、不安だったり、迷いや不安の払拭だったりするわけです。「感謝」については、ボクと上司、ボクと同僚の間でラポールが取れていればそれでいいことで、何かを決意したり、何かを強く熱く語りたいときに、感謝をわざわざ第三者に伝える必要はないと思います。それは、なぜボクが辞めるのをわざわざ3月に決めているか、欠員を作らないようにしているか、仕事に滞りなく引き継ぎをしようとしているかをみれば、すぐわかるはずです。そこを見もせず確認もせず、「感謝が足りないね」と言われた気がして、ちょっと大人げない行動をとったりしました。もちろん、その「感謝」のせいで気持ちが揺らぐことについて書きたかったり、感謝をしたりされたりして得られたものについて書きたいときはその辺は書きます。当事者間できちんと感謝の気持ちを伝えていくことは、関係性を築いていくうえでとても大事だと思います。でもそれは、感謝しようとして出てくる言葉ではなく、感謝の気持ちが出てきたからきちんと伝えようというスタンスでいたいと思っています。

まあ、特定の方を傷つけたことには変わりないので、深く反省しています。このことを受けて、改めてボクにとって「感謝」というものがなんであるか、書きたくなりました。たぶん、そういう大きな決断をした時期でもあるし、また手術も控えていてナーバスになっているかもしれないです。

そうそう、感謝といえば、今日、お友だちから、「無事、手術乗り切ってね」とお守りをいただきました。

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ひとりで乗り切るつもりでいたから、すごくうれしかったです。ボクって愛されてますよね。

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コメント

「感謝」には様々なレベルと大きさがあって、社会生活では、
最も小さな「礼儀としての感謝」という側面が強いように思います。
人間関係の潤滑油な感じで、感謝する方もされる方も、
気軽な挨拶程度の意味しかありません。
礼儀としての感謝は、深く考えずに、つい大安売りしてしまいます…(^^)
でも、それ以上の感謝は「してしまうもの・させられてしまうもの」で、
クチで感謝するよりは態度や行動で示したり、
その表し方は各々の考え方や個性によって違いますね。

pen正太郎くん、ばんは♪
コメントありがとう。

そうだよね。
結局は人それぞれ「感謝」に対する意味付けが違うから、誤解が生じたりするのだと思う。
まあ、いずれにしても「感謝」の気持ちを忘れずにいた方が、自分自身が優しくなれるよね。
いつもありがとう。

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