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2012年10月27日 (土)

存在の証明

明日の「第6回セクシュアリティ勉強会」まだ間に合いますよ。よかったらよろしくお願いします。

http://escape33.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-912f-1.html

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今週水曜日に、まんちゃんのコーチングセッションを受けました。コーチ・カウンセラーの役目としてのセッションはしょっちゅうしているけど、クライアントとしてセッションを受けるのは授業以外では最近あまりないです。まんちゃんのセッションは毎月受けていますが、詳しい内容までここに書くことはあまりありません。でも、今回のセッションについては思うことがあったので、ブログ記事に残しておこうと思います。

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いつも、まんちゃんのセッションは名古屋の荒畑の喫茶店「ボンファム」でしてもらっています。今回はポイントカードがたまったので、スウィーツのセットがついてきました。

先週、母の緊急搬送先に行ってみて、そんな状態でも驚くほど冷静だったボクについては書きました。今月は自分の入院や手術もあって、不安定なようで冷静でもあったりして、自分でもよくわからない感じでした。

うまく自分のコントロールはできているようで、苦しいことはほとんどなく、でも、すごく楽しくて仕方がないわけでもないような日常の中で、あと半年弱の本業をしながら、よく活動できている自分には満足感はあります。ただ、どの場面においてもなんだか「もっともっと認められたい」感覚が膨れ上がることがよくあります。とてもたくさんの方に応援されて支えられて褒められたり支持してもらっているのに、どうしてまだまだ「認められたい」と思うのだろう。自己肯定感が低いのかな、まだ心の奥では認められていないと感じているのかな、それともどこまで行っても上を求めてしまう貪欲さがあるのかな、などといろいろもやもや考えていました。

うつになる前のボクは、自己否定感や周りからのはじかれ感、マイノリティの孤独感をばねにして頑張って認められるいびつな感じがありました。今は、自己否定感はないと思っていました。そうして母や家族にカミングアウトして、自分のセクシュアリティやそれに対するアイデンティティについては、もう認めてもらったと思います。それでも出てくる「認められたい」感じは、母や家族に向かっているものなのか、社会に認められれたい感じなのか、自分が自分を認めきっていないのか、それについてまんちゃんに整理をお手伝いしていただいたセッションだったように思います。

そうして最終的に出てきたのが、母や家族にも社会にも出てくる「認められたい」感じ、どうしてもまだ払拭されていないたくさんの人たちの「結婚して子供も産んで育ててこそ幸せ、それでこそ一人前」みたいな観念に対して、「結婚しなくても、違う形でもちゃんと幸せ、それでもちゃんと一人前」であることを認めてほしいのではないかということに気づかせてもらいました。まさに、ボクが今の人生を生きていくうえでの自分の「存在の証明」がそこにあるのだと、気づくことができました。

これなら、いつまで経っても認められ感が消えないこと、声高にマイノリティの生きていきやすい社会に発言・活動していきたいと思っていること、まだまだ認められたいためにどんどん頑張ってしまうこと、残りの公務員人生を汚点にしたくないと思ってしまうことにも、すべて合点がいきます。

先月までは「まだ認められたい自分がいる」なんて、ダメなようで、言われると少しカチンときたりしました。でも、「認められたい」と思う感情がどの誰にでもあって不思議ではないことを、マイナス面として捉えず、自分自身の当然の感情として認めていけばいいのだと思いました。

まず、自分が最大の理解者となるためには、今認められている自分の長所や才能や実力だけでなく、まだまだ貪欲に求めてしまうことを、自然のものとして受け止め、それでパワーになることはパワーにし、でも、頑張りすぎてしまわないようにやりすぎず、きちんと受け止めてフラットな形で行動にしていく、それでいいのだ、と認めていけそうな気がしました。

人のことや出来事や社会や環境を、認めてしまうことはなんとなく時間があればできそうに思います。でも、自分を認めていくということにはなかなか冷静にはなれず、不安になったり、杞憂したりするけれど、そういう不安や杞憂を感じる自分も受け入れる、認める、許可を出す。それができたらすばらしいな、と思います。できれば、自然に、無理なく、できるだけ瞬時で。

なんとなく今まで「認める」ということはネガティブな感情を受け入れていくようなイメージで単語の意味付けをしていて、たぶんそれはうつから回復していく作業の中で「赦す」→「受け入れる」→「認める」という流れにしていたけど、単にありのまま「認めていく」というということが自然な気がしてきたわけです。まさにいつか気づけた「自然体」について、それを行動にしたり結果にしたりする作業は、「自然体」を「認めていく」ということなんだな、と思えた気がします。そしてそこにはいつもこだわる「自己開示」が、やはりボクには重要なんだろうと。それも、リスクも何もないフラットな無理をしない「自己開示」。素っ裸な心でいられる社会にいてもいい「存在」として自分の個性や魅力を発揮できる、それが、ボクの本当に幸せな状態なんだろうな、と思いました。

「存在の証明」…、まるで、若かりし頃の薬師丸ひろ子が主演してジョー山中が主題歌を歌っていそうな映画のタイトルみたいだけど、自分の生き方の目標みたいなものが言語化されて整理された気がします。

さ、明日は勉強会。ゆっくり休んで、素敵な勉強会にできるよう、備えようかな。

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