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2012年11月25日 (日)

分類

昨日は、朝10時半から研修、そのあと、あるカウンセラーさんから今後のボクのフリーになることについてのアドバイスを聞き、夜はセッションと、10時間くらい頭をフル回転させました。ちょっと疲れたけど、結構貴重な1日になりました。もしかすると、フリーになるとこんな毎日がやってくるのかもしれませんね。

3日前、ちょっと度肝を抜く感じのブログを書きました。驚くほど、面白い反応をいただいたのでびっくりしているところです。いわゆる「普通」の方たたちから、「私もマイノリティなのかもしれない」という感じの感想をたくさんいただきました。まあ、そんな脅かすようなところはボクの意図するところではなかったので、意外な感じはしましたが、書いてよかったと思いました。

ちょうどそんな折り、最近このブログによく登場する彩光さんがブログに興味深い記事を書いておられたので、ちょっと引用しちゃいます。一応、ご本人の了承は得ましたので。タイトル「自分主語で考えなきゃね!」です。

以前、とあることで迷路にはまってた友人に言ったことがある。「○○系な自分だから**だ…という、まずカテゴリありきの発想から止めろ」と。常に自分を主語で考えろ、と、その人に言った。

その時迷い込んでたのは、少々込み入っていて、非常にコアで、その人のアイデンティティそのものに関わるようなことだった。なのに、その人は、あくまでも「分類」から、自分を見ようという視点から離れられないでいた。たとえば…自分はB型だからマイペースなんだ…と。そういう発想のことだ。もちろん、そんな単純なことではないけども、まあ、そういうこと。

ジャンルやカテゴリから自分を見ている限り、自分の根本的な方向など、わかるはずがない。けれど、どうそれを伝えても、意味がわからなかったようだった。

その人が特別理解力がない…ということでは、決して、ない。ほとんどの人が、そういう視点に固定してることすら、気づいてないんだと思う。というか、そういう見方以外知らないし考えたこともない…というところ。

統計学的な「平均」や「偏差」というものが、物事を整理し知る手がかりとして重要だということは、わかる。けれど、そこから自分を見る、というのは、そもそも自分ってものがそれなりに把握できていてこそ意味があることであって、アイデンティティに関わるようなことに関わっている時に、そんな「一般化」から見てたって、自分がわかるわけがない。

一般化された分類、類型。その中の「どこに自分が当てはまるのか」という発想しかないと、自分っていうものの何らかの要素を必ず犠牲にするしかなくなる。

自分はこういう者だ。だから、自分はこういうジャンルに入るのだ。という順番で、まず、見直してみろ…と、何度か伝えたけど。

仮に、今知る限りの中で、当てはまる枠がなさそうなら、どこにも入れないまま保留にしておけ。でないと、無理矢理どこかに当てはめて、結局はまた、自分がわからなくなる。保留が気持ち悪いなら、自分で「自分ジャンル」を作ってしまえ。

…とも、常に一緒に、話していたけど。結局、その後、その人がそれについて答えを見出したのかどうか、私は知らないまま、交流がなくなった。

どこかのタイプやらカテゴリやら…そういうものの中にどうしても収まろうとする意味が、よくわからない。当てはまらないなら、当てはまらないでいいじゃん。

不思議でならんのだけど。そういう、どうしてもどこかに自分を押し込みたい人ほど、その中での順位にこだわるんだよね。私の狭い世間知の中では、そういうことが多かったよ。

自分ジャンル作っちゃえば、そこでは常に「自分一位」なのに。なんで、わざわざ、競争率高い大勢ひしめいているジャンルに自分を曲げてまで無理に入って、その中で「上に行けない」とか、嘆く必要があるのか。そういうことを、わざわざやっておいて、「どうせ自分は劣ってるから」とか卑下までして。バカバカしくね? 私が無神経なだけ?

少なくとも、自分は何者か…というアイデンティティに関することで「分類から自分を判断する」なんて、何の意味もないと思うよ。

彩光さんのブログはもっと読み易いんだけど、スクロールの都合上、改行をボクのブログ用に変えてしまいました。

まあ、ボクはこの作業をやったのかな、って思っている感じです。「同性愛者」だから「オトコのカラダに反応する」ことになる決め付けの上で「同性愛者」だというカテゴリーに入れたけど、その工程に疑問が出てきたので、何を以って「同性愛者」というのか、自分はどこに違和感があってカテゴライズ化をしたいのか、を考えてみ直したんだと思いました。彩光さんのいう分類の当て嵌め方とアイデンティティの解釈がボクのに一致しているかどうかは定かではないです。正しいことをやっていると認めてほしいわけでもないし、彩光さんに媚っているわけでもないですが、まあ、いかにもタイミングよく飛び込んできたもんだからこんなことを書いています。

前に彩光さんが、「少数派な要素が重なるとややこしくなる」というようなことも書いておられました。そこにもつながるんだけど、結局いろいろ面倒くさいので、とりあえず何らかのカテゴリーに自分を入れておくと、説明もしやすいし、多少面倒くさい説明が自分にも人にも少なくなっていくので、生きやすいようにボクはカテゴライズ化しているのだと思います。「同性愛者」がなんたるかは今でも疑問なんですが、世間の「同性愛者」の認識にボクの中身がいちばん説明としてわかりやすいから、まあ、「同性愛者」にしているわけですね。「ボクは同性愛者だ」ととりあえず宣言しておけば、いろいろ面倒が減るんです。

そう言ってもまだ「えっ、豆腐さんって性同一性障害なの?」とよく訊かれます。結構いろいろよく学んでいる人ですら、です。で、それが単なる興味本位かどうかどうかによって、「まあ、そんなもんです」とか、「似たようなもんです」とか、「そう思ってもらってもいいです」とか、面倒くさいと言っちゃいます。訊いてくる方がボクをよく知りたいと思っているように感じれば、「同性愛者」と「性同一性障害」の違いについて懇切丁寧に説明したり解説したりします。まあ、感じ方の発端は興味本位でも何でもいいんですが、からかわれているのであれば、ボクには面倒くささが増幅されていくわけですね。

あらゆる面でカテゴライズ化しておいて、自分でもその括りに入れておいて、受け入れていくと咀嚼しやすくなるし、肯定していれば自己肯定感が増し、生きやすいからそうしているわけです。

たとえば、楽しいはずの飲み会で、AKBの誰がいいか、というような話題になるたびに、昔は仲間はずれにされたくないし、楽しみたいから、いちいち女性を自分のタイプの男性に置き換え、またそれに合ったAKBの誰かや芸能人の女性の誰かに置き換え直して、話をごまかしたりしていたわけです。昔はそうしてでも仲間はずれにされたくなかったり、普通を演じようとしていたわけです。それをカミングアウトしておくと、ボクには面倒くさい回答をみんな求めなくなるし、いちいちそういう場面で自分も嘘をついているような罪悪感を持たなくなるんですね。でも、多くのセクシュアルマイノリティは自己開示をしにくい状態に今の社会ではなっているから、昔のボクのようなことをやっている人が多いんでしょうね。

結局はボクが「同性愛者」であることを恥じていなくて、カミングアウトのリスクも知っていて、でも、面倒くささは解消したいと思うと、こんな感じになってしまうんだと思います。そういう男女間の話題にも平気で、むしろ自分の恋愛観も話せて、男女とか関係なく分かり合える関係性を友だちに求めると、いろんなこういうことが出てくるわけです。面倒くさいことを避けるか、乗り越えてどんな場面でも平気になるかは、個々の自由で何も言うつもりはないです。飲み会の楽しい場で「その話題は厭です」という自己開示をしてもいいし、我慢してもいいし、そんな話題しか出ない飲み会に参加しなくてもいいし、友だちとそういう話題はしないと決めても何でもいいんです。

ボクが何を感じているかというと、マイノリティとしての自分のカテゴライズ化は、ボクの場合は必要だったということと、それを知っておいて、人(マジョリティ)との感覚の違いも知っておいて、全部何でもアリで正解も普通もないことを自分の中のどっかできちんと認識しておけば、マイノリティだって社会に溶け込むことはぜんぜん苦しくないし、愉しい、ってことですかね。

まあ、あまり、順番間違えなくいい風にカテゴライズ化したり、分類をするとそれはいい場合もあるし、かえって自分を苦しめることもあるってことですよね。そんで、そのカテゴライズ化に、人を巻き込んじゃああまりよろしくないですよね。ってことで。今日も変なブログになりました。

おしまい。

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コメント


「自然」でよいのじゃないですか?
私が言うのもなんですが・・・ナチュラルで!

penたもまみさん、こんばんは♪
コメントありがとう。

その通りなんです。「自然」でいちばんいいんですよ。
で、ボクは今「自然」なんです。
言いたいのは、セクシュアルマイノリティは、なかなか「自然」になりにくいので、大変ですよ、ということ。
「自然」になるために50年かかりました、ということ。
今の自分がいやなわけではないんですよ。
そういう風になれてない人に、「自然」になりましょうよ、とむしろ喚起したいです。
ただ、このブログは大変だということだけを書いたんで、わかりにくかったかもしれませんね。
いつもありがとう。

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