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2012年11月 7日 (水)

本心

最近、少し気づきのようなはっとすることがあって、いろいろつぶやいたり、ブログにまとめたりすると、みんなが心配してくれているということを知りました。何かを感じてつぶやくと、「何かあったんですか?」とか「嫌なことを誰かに言われたんですか?」とか「大丈夫ですか?」とかよく言われるということに気が付きました。もちろん、何かの出来事があって、それに思うことがあって、そういう気づき方をするんだとは思います。何のきっかけもなしに新しい変化があるわけではありません。でも、最近のボクはそうそう簡単に傷ついたりはしないので、勝手にボクの頭の中が思考を始めたり咀嚼を始めたりするだけです。辛さや苦しみからもがいて得たものではありません。なので、あまり心配しないでくださいね。気にかけてもらっているのはとても嬉しいんですが、心配されちゃうとつぶやきにくくなってしまいます(笑)。

おとといのブログもそういう反応をいただきました。あるコーチ仲間の方から、「『生きづらい』ってどういう感覚ですか? 豆腐さんはセクシュアルマイノリティなんだ、と思うだけで、何が『生きづらい』かがよくわかりません」というコメントをいただきました。そのあとセッションしたクライアントさんにも、「私もそう感じる」って言われました。コーチ仲間の方には、

たとえば、自己開示していない段階だと、「なんで結婚しないの?」とか「彼女を早く作れば人生楽しくなる」だとか、言われるたびに困惑してましたね。お弁当を作っていくと「それ、愛妻弁当?」とか言われたし、小さいころはよく「なよなよしていて気持ち悪い」と言われました。今はなよなよしてないけどね。そういうことの積み重ねが、説明が面倒くさいと感じたり、どうせわかってもらえないだろうと思ったり、女性が好きなふりをしておこうかなと思ったり、結婚してみようと思ったり、普通なふりをしようとしまたね、昔は。それが幼いころからの刷り込みになっていたのだと思います。たぶんいちばんつらかったのは、結婚と初孫を望む親の期待に応えられないのが、人間として脱落者だと、ダメ出しをしていましたね。男女の前提がなければ、楽なのに、堂々と生きられるのにと、50年間思っていました。自己開示し、カミングアウトしたあとはずいぶん楽になりましたが、普通じゃない自分を異常じゃなく特殊だとこころから思えるようになったのはまだちょっと前で、男性を好きになってしまう自分を不自然でなく自然だと捉えられるようになったのは、つい先週くらいのことです。でもそれは、ボクの問題であって、社会は変えられないと思っていました。今もそこは思っていると思います。ただ、人と違うのは、誰もが持っているところだと思っています。

と答えておきました。でも、今はそんなことをいちいち苦しんでいるわけではなくて、大勢のマジョリティの方の中にいるときに、「みんなは自然とこんな感情を持ったり、ボクに対して思議だな、と思ったりするんだなぁ」と思えるので、そういう大多数の中にいるときに苦しんでいるわけではありません。でも、そのあと、そのお友だちから、「そんな苦しい思いをされていたんですね」とか「自分の体験に重ね合わせました」とか「豆腐さんの自己開示は人の理解を得るのにふさわしかったんだなと思いました」とか返事が来たときは、泣けてきちゃったし、このブログを書いてよかったな、と感じました。

ただ、その時はそれがすごく良かったと感じたんだけれども、ここで泣けてきてしまうのは、まだ完全に自分を癒せてないのかもしれないとも感じ始めました。自分が自分を認めきれていないかもしれません。認めるとか受け入れるとかって、どこまでできている状態をいうんだろう、と思いました。許可とか受容とかの意味が少しわからなくなりました。苦しくないからもう認めたり受け止めたりできていると思ったけど、ここで「泣けた」ということが、そういう風にボクを思わせました。まあ、自分としてはそれでいいんだけど。

前に、どうしても闘ってしまう自分がいると書きました。それは、社会とであったり、自分とであったり、いろいろだけど、これも自分が癒せ切れてないから出てくるものなのかも、とも思ったりします。前回書いたように、ボクの過去の体験や経験が闘わざるを得ない状況を作ってしまうのかもしれないとも思います。また、闘わないとやりこまれてしまうから強くならなければならないと思った部分もあります。それで、人と会った途端にカミングアウトをしておくという行動パターンを作ってしまったのかな、とも思います。圧倒的大多数の人は、自己紹介の時に自分のセクシュアリティを告げたりしませんよね。だからこの行動は不自然なのかもしれません。それは、伏線を張っておくとか、鎧を被っておくとか、そんな結果になってしまうのかもしれません。でも、それが安全でやりりやすいからしてしまうというのが、本心にいちばん近いです。自分を癒せていないから、眠っていた戦闘本能が出てくる、っていうほど簡単に片づけられない気がしてきました。戦闘本能が呼び醒まされたのではなく、闘わないと「何とか生きていく」ということができなかった、というのが、本当のところに近い気がします。やっぱ、この生き方はいびつかもしれません。

ただ、これは、ボクの自然な感情です。ボクは、このあたりが少し人と違うから、自分は不自然な生き方をしていると思うのをやめました。今のボクはいたって自分に正直で自然です。あえて言うなら、もう少し面倒くさくない方がさらに楽かなとは思います。大多数の方が何の違和感もなく過ごしていられるような過ごし方をもう少し望む感じです。だから、少数派の宿命と言ってしまったりするのかもしれないですね。

今日のタイトルを「本心」にしました。前回の「本音」と何が違うの?って感じだけど(笑)、ボクにとっては、前回の「本音」の方が弱っちい感じが微妙にします。なんか、これでいいや、って思います。投げやりでなく、心からね。

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コメント

本音を堂々と出せる人がこの世の中にどれほどいるだろう、、、、少ないです。
「本音を出さないで生きる」というのがマイノリティーになることを願います。
豆腐さんは、出しながら気づいていかれる、それが素敵だと思います。

pen祐子ちゃん、ばんは♪
コメントありがとう。

間違っているわけではない自分だけれど、これでもいろいろ迷いながらの歩みなので、勇気と自信をもらえるコメントでした。
うれしかったです。
いつもありがとう。

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