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2012年12月29日 (土)

回顧

更新が15日間滞りました。何も書くことができなくなっていました。

実は先日二人の姉のうち、下の姉(ゲイであることのカミングアウトを理解してくれていると思った姉の方)に、退職と起業の意向があることを伝えました。残念ながら、理解はできない、公務員を続けてくれるのが希望だから考え直して欲しい旨の返事でした。

想定内でしたが、やっぱりこうなったか、という感じです。退職・起業の気持ちがあることだけは理解してくれましたが、「もう決めている」ことは言えませんでした。その意向があるということが伝わっているだけです。

ゲイのことを理解してくれていない方の姉にも、決める前に伝えないといけないよと釘を刺されました。下の姉自身、ボクのことは姉の家族にも言えないようなことで、ボクがゲイであることは黙って墓場まで持っていく事実だと決めていたことのようです。堂々とボクがこうであることは、ほかの誰にも言えないという、恥ずかしい存在であることが露呈してしまいました。まあ、そんなことで結構去年言ったことは、ボクにととっては大成功だと思っていたカミングアウトも結局まだまだなんだと思います。

それでも姉には「あんたの人生だから自分で決めなさい」とまではなんとか言ってもらえましたが。コーチング・カウンセリング業界では、絶対食っていけないと思うということと、それを言われても心配にしかならなくて、背中を押す気には絶対なれないということでした。この結果は想定内だったし、説得する感じにこれからなりそうです。ダメージというよりは、やっぱりかぁ、という気持ちと、自分でハードル上げちゃったかなぁ、と思っているところです。この日も、闘いを挑む感じではなく、認めさせる感じではなく、うまく言えたとは思っているんですけどね。

母には、話すつもりはないことと、上の姉には近々話すことを約束しました。本当はゲイのことも母には言って欲しくなかったという本音も飛び出しました。希望をもってワクワクして伝えたわけではないし、こんな結果もあるだろうなという想定をしていたので、凹んで立ち直れないわけではないですが、ちょっと、ついにこうなっちゃったなぁ、という気持ちがあります。言わなかったほうがよかったという後悔があるわけではないです。でも、大変なことになっちゃったなぁ、という感じで淡々と結果を受け止めています。かなりの覚悟を持った気持ちで、ただ知っておいてほしいという想いだけで、これからも話を続けていくことになると思います。

不具合な出来事が起こると、取りあえずまずボクは、「鏡の法則」を当てはめる癖がついています。うまくいかない出来事は、まず、自分の中に落としきれていない部分があるのならそこから変えていこうというのがボクの今のやり方です。そこに問題点があることが多いからです。そうすると、バシャール的に見ても、鏡の法則的に見ても、パラレルワールド的に見ても、コーチング的に見ても、ボクはまだ、好きなことで稼ぐことも、公務員辞めることも、健康になることも、自分に許可が出せてないことになります。そしてさらに、「こんな風にまでなれたのに。決心揺るがないし、自分のネガも見つめたし、自分の過去も癒せたのに、まだ苦しまないといけないのかなぁ。まだ手離さないといけないものがあるのかなぁ」という想いが出てきます。壁もまだまだやってくるなぁって感じです。

すべてをそこで解決しようとするには無理が生じる場合もあります。今回はそこを学ぶことができました。この思いをそのままSNSにつぶやいたところ、ものすごく多くの反応をいただきました。「そもそもそれを人に話していく必要があるのか」「豆腐さんは善悪の観念が強すぎるのではないか」「豆腐さんは真面目すぎてきちんとしようとしすぎるのではないか」「自分に許可を出さないと前に進めないという観念がないか」「無理に進もうとしたり解決しようとしなくてもいいのではないか」などなど。ものすごく当たっているし、自分の課題について指摘を受けた気がします。ただ、何かそれは、ボクが今回のことで見つめようとしている視点とは違う気がしました。それをしてみたところで、今回のことは伝わらないと思いました。

大事なのは、ボクが伝えることで、姉の受け止め方や気持ちをコントロール出来ないことをすべて想定の上でそれでも伝えるべきなのかそうでないのか、それを選択する必要が今回はあったということです。まったく離れて生活をしていくわけではないし、母の介護を姉たち3人とやっていく上で、お金のかかることでもあるし、いくらお金を補填出来るかを開示しあう必要があったし、公務員を辞めて今までの収入体系とは変わることを告げる必要が現実的問題としてあったわけです。次の選択肢を選び直したということはボクがこの先の人生をよりよく生きやすいようにするために決めたことで、隠す必要もないし、すぐにバレることです。「理解してもらおう」「応援してもらおう」「説得しないとダメだ」とか思う感情が出れば関係性に無理が生じ軋みが生まれます。

ボクにとっていちばんいいのは、「公務員が安定していていちばんよくて転職は絶対うまくいかないに決まっている」と決めつけている姉の観念がはずれ、「ボクにとって生きがいを求めた可能性のある選択をしている」ことだと思ってくれて、理解も応援もしてくれるということでしょう。そして、「ゲイとして生きる生き方は恥ずべきもので隠れて生きていくのがいちばんいい」と決めつけている姉の観念がはずれ、「ボクにとって生きがいを求めた可能性のある選択をしている」ことだと思ってくれて、理解も応援もしてくれるということでしょう。でもね、そんなことが簡単にいくわけがないと、ボクの50年間の過去が指摘してくれているんです。だからそんな夢のような絵空事を描いて求めることはしないし、反論の覚悟も出来ていて話していくわけです。

このことを体験して、ボクが学んだことがいくつかあります。自分に正直でいることはわがままを貫くことにしかならないのかな、という観念を持ってしまうのかなということがまずひとつ。認められたい感情があるのは誰にでもあってそこに罪悪感は持つ必要がないと感じていました。姉を苦しめずに、気持ちを伝えることは可能なのか、言い方だけの違いなのか、自分を許したりできてないのか。社会と折り合い共存することは不可能なのか。を自分の中の問いとして立てました。

それから、ボクの今回の苦しみは「ボクの正直さがひとの苦しみを生むことが多い事実を突きつけられたこと」とあらためて「ひとの苦しみを巻き込んでまで言う正直さとそこまでして正直に生きたい葛藤」なんだと思いました。仕事を選ぶことに関していろんなリスクを見たりそれでも選び直したい現実があることを想定し覚悟した上でないとややこしい問題が起こる可能性を孕んでいることは事実だと思います。それだけでも大変だということは直面したことがある当事者なみんな実感していると思います。同じように、もしかしたらそれ以上にセクシュアルマイノリティの自己開示にも同じことが言えるかもしれません。その両方を一度に直面してしまうことの覚悟と勇気が少し足りなかったんだと思いました。当事者だけでなく周りにも同じ苦しみを与えないとすまない、そこはある程度相手に強いないといけないわけです。そこに手離さないといけない観念があるとかないとか、そんなやり方を自分だけでなくさせなければならない、それがまだボクの中では「自由」という感覚だけで押し付けられないと思ってしまうのでしょう。苦しむことが悪いとかそんなことでもなく、個々ひとりひとりがボクのまっすぐさのせいでやらなきゃいけない風になるのが、思っていた以上に堪えられなかった自分に直面したのだと思います。結果が悪い方向に向くかも知れない怖れなどすでにありません。そんな問題ともボクにとっては少し違うようです。自分がこう生まれてそれを正直にしていくことはこういうこともあり、自分だけの問題ではなく、そうなってしまうほど厄介な存在であること、ここがまだ覚悟が足りないような気がする感じです。自分が間違っている間違ってないでもなく、自分が人に不快感を与える存在であること、それが普通でないことの要素のひとつではありそうです。他人であれば、そこまでは考えなくていい、他人も家族も同じ、ではないこと。知っていたけど、甘かったと認識した感じです。強い弱いも関係ないと思っていたけど、今は自分を信じ、貫く強さが必要ですね。

この体験をした上で、ボクは上の姉にも伝えることをしてみました。先日のことがあったので、丁寧に話せたと思います。すでに話してある方の姉と同じ考えだったので、ま、結局は反対されたんですが、「最終的に決めるのはあんただから」と言ってもらえたのがせめてもの救いです。セクシュアルマイノリティのことは理解できないと言っていた方の姉だったので、退職のことを話すのもハードルが高いと勝手に思っていました。実際、今回も「もう決めてる」とは言えずに、「辞めたい気持ちがある」ことを伝えたに留まっているので、まあ、ボクも小さいもんです。別に無理やり思い通りにしたいとも思っていないし、理解して欲しいとも思っていたわけではないので、むしろそう言ってもらえたのが嬉しかったくらいです。

今回の混乱は、多分、退職の話なのに、「実はセクシュアルマイノリティのこともわかったことにされていた」ことにいちばんショックを受けていたのだと思います。きっと、退職を反対された混乱ではないように感じています。今一度、嫌悪感を抱かれる存在であることに立ち返り、それでも今の自分を貫くことに意味を植え付けたいと思います。これをしていくこと自体が近い存在の関係性には相手を巻き込んでいく事実も受け止めておかねばならないように思います。それは姉の問題と簡単には片付けられません。当事者である自分自身ですら50年かかったことなのだから、姉にボクを「誇りに思え」というのは無理なことです。

ゲイとしてひっそり生きていく道を大勢のゲイの人がしていくのも無理ないな、ってあらためて思います。かと言って自分がまたそっちに戻っていくことはありえませんが。

ものすごく長いブログになりました。ここまで読んでくださった方に感謝します。ボクは弱さに直面しました。こんなことで起業できるのか、という想いにもなりました。自分が何か発信することで自分の正直な気持ちを自己開示をすると、人を傷つけることにしかならない結果を突きつけられた気がしていました。かといって、隠していく人生には戻れない、そのジレンマの中で、自分を貫き通すことに関して、自信とか確信とか強さが足りないように思ったり、結果を強烈に怖れる自分に対して、向き合っても向き合っても、自己開示していいよ、とは言ってあげられないほど恐怖にやられました。傷つくのは、ボクの気持ちを聞くことに関わってしまった人たちの問題だと認識できても、ブログやSNSに書いていくことは、恐怖でした。「自己開示してはいけない、社会に生きていけなくなる」…そんな出来事だったように思います。今日、これを書けたことを少しだけ乗り越えたような感じで捉えています。でも、もう昔に戻りたくないのでもう少しもがかせてください。とてもしんどい15日間でした。そんなことで大丈夫?ってたくさんの人が思っているように感じます。よかったら、みなさん、忌憚のないコメントをくださいね。大概何言われても大丈夫な気がしてきて、今日ブログを書くことができました。よろしくお願いします。

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