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2013年1月

2013年1月30日 (水)

「第8回 セクシュアリティ勉強会」のお知らせ

今年最初の勉強会の詳細が決まりました。ぜひ、お暇な方、セクシュアルマイノリティについて勉強したい方や語りたい方、ご参加をお待ちしております。

みなさんの心の中に、ほかの普通の人とどこか違う、違和感に感じていることはありませんか? それは、もしかしたら、あなたにしかない光り輝く宝石のような個性かもしれません。「性差」という視点から、その個性について一緒に勉強してみませんか。

第8回 セクシュアリティ勉強会

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日時 2013年2月23日 土曜日 15:00

場所 : 名古屋市東スポーツセンター 2階 第1会議室 

参加費 : 無料

参加資格 : どなたでもご参加いただけます 先着20名様まで

「セクシュアリティ勉強会」も今回で8回目を迎えることができました。セクシュアルマイノリティの方、セクシュアルマイノリティの方が周りにいらっしゃる方、セクシュアルマイノリティについて理解を深めたい方、どなたでもご参加いただけます。性差という視点から、個性について一緒に勉強していきましょう。今回は「セクシュアルマイノリティと職場」というテーマで開催します。たくさんのご参加をお待ちいたしています。

お問い合わせ・お申し込み先

 マイノリティのパイオニア(セクシュアルマイノリティコーチ)  豆腐

  Email : torff@na.commufa.jp

  携帯mail : torff.625-dorff.729@ezweb.ne.jp

Facebook、mixiメッセージ、twitter、amebaメッセージなどからもお申し込み可能です。定員になり次第終了させていただきますのでご了承ください。お受付させていただいた方には24時間以内にご連絡させていただきますので、メールアドレスを添えてお申し込みください。(入院中は24時間以内の返信ができない場合もありますので、ご了承ください)

※セクシュアルマイノリティに強く批判的な方、誹謗中傷・からかい目的の方はご遠慮ください。

主催:豆腐(協力:セクシュアリティ勉強会実行委員会)

また、今回も勉強会後に親睦会をしようと思っています。久々に、LGBTQA・オールミックスなダイニングバー「Queer+s」での予定です。こちらは別途会費3800円が必要になります。親睦会の参加可否も併せて申し込んでくださいね。もちろん、勉強会だけでも結構ですし、親睦会だけの参加もOKです。 たくさんの参加表明お待ちしております。よろしくお願いします。

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2013年1月27日 (日)

【重要】業務連絡

2月23日開催予定の「第8回セクシュアリティ勉強会」を最後に、無料での活動を中止させていただくことになりました。

応援してくださったみなさん、アドバイスや意見をくださったみなさん、大変ありがとうございました。

そのあとは3月いっぱい、申告の時期であることもあり、最後の本業公務員のお仕事に専念させていただきます。今でも精一杯市民の方々のためにお仕事頑張っているつもりでいますが、最後のお勤めを精一杯させていただき、できる限りきちんと卒業させていただきたいと思っています。

4月からは新たな気持ちで、カウンセリング・コーチング・講師を本業とさせていただき、有料で活動させていただきたいと考えています。

その節はまたよろしくお願いします。

勉強会までは、本業のかたわら、あとしばらく無料で頑張らせていただきます。セッションのお申し込みを検討されている方は、申し訳ありませんが、お早めにご連絡ください。

ここまでひっぱてくれた方、後押しを下さった方に深く感謝しています。

これに伴い、HPや各種のブログ、SNSなどのプロフィールを変更させていただきました。

今後ともよろしくお願いします。

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2013年1月23日 (水)

虚無感

先日、「関係性」というタイトルでブログを書きました。昨日も今日もセッションをしてきました。そこでもやっぱり同じように思うことがあります。それを書くべきかどうか、迷いながら書いています。

その前からしばらくずっと姉とのやり取りもここやほかのSNSでもさらけ出してきました。いろんな方からの意見やアドバイスを頂いたりしました。それは強がりでもなんでもなく本当に心からありがたいと思っています。そこに真摯にお返事をくれた方には、気持ちや愛情が込められているから、それを感じる以上、ボクはわかったふりをしているのでもそこに目を向けていないのでもなく純粋にありがたみを感じています。

確かにボクの中には、姉に認めてもらいたかった、応援もされたかった、その気持ちがあったことは間違いないです。そして、それに呼応した結果は得られませんでした。それにしんどさも感じました。その結果、何が得られたかもあまり深く書いていないし、まだそこにヤラれている感じが残っているような表現になっているのも事実です。得たものがうまく言語化できていないのもあるので、伝わっていないのもある程度わかっています。全然わかってないじゃん、っていう人もいるし、本当には分かっていないのかもしれません。でも、そんなことはどうでもいいのです。ボクがボクの中で解決していく問題です。

ボクのクライアントさんの中には、結構受け入れがたい苦しい状況に置かれている方がたくさんいます。それをこんな状態のボクがカウンセラーやコーチとしてセッションしていていいのかという問もあります。そうしてそれを乗り越えられた方の素晴らしい体験も明かしていただいて嬉しく感じています。ボクはごまかしているだけかもわからないし真実を見極められていないかもわかりません。それは多分とても重要なことで、いろいろ乗り越えていくべきところでしょう。ただ、今のボクにはそんなことは結構どうでもいいのです。

悲しいな、と思ったのは、それを乗り越えられたとか過去の自分を見ているようだとか、そういう風に思っている方たちが、この言い方ではわからないからもっと厳しい言葉で伝えていこうと思うのもその方の表現方法だし、受け手の問題だから、自由にしてただいて構いません。ボクはそこに傷ついたりはしていないのです。むしろ、そこに不毛な平行線な意見交換をさせ、相手の時間や労力も奪い、疲弊させ、結果受け入れられませんでした、としか言えない状況を作ったり、そういうやり方をした自分に後悔が残っているだけかもしれません。

ただね、もし、それを乗り越えられた方が何かを伝えてあげたいと思うときに、私はもう乗り越えましたよ、的なオーラを出し、上から目線的に、もしくは一刀両断で斬りつけるようなやり方をするのではなく、その人のうまく乗り越えてきた方法をただ伝えてあげたらいいのにな、ということを感じます。「勘違い」とか「ナンセンス」という言葉で片付けてしまうのではなく。そうでなきゃ伝わらなくて、そう言うしかないのであれば、それは受けての問題だから、言えばいいのだと感じます。

「認めて欲しい」「応援して欲しい」という気持ちがボクの中にあったことは後悔していなくて、ただ、そう簡単には得られないものだといことをボクが認識して、ボクは求めなくなった、その事実があるだけ。それで、ボクが自分を変えていく作業をしたり、何か覚悟をしたり、考え方を変えていこうとしたりしているというだけです。それが誰かの役に立つかなと思ってさらけ出しているだけです。ボクはそこにプライドもみっともなさも感じないし、傷つきもしないから。

今、何かに立ち向かおうとしている人が目の前にいるとき、「認めて欲しかったんだよね」「応援して欲しかったんだよね」という感情があったことは受け止めてあげればいいじゃないかと思います。それを一刀両断に斬りつけて、さらに動けなくなったり進めなくなったりという結果になってしまうということを悲しいと思うだけです。個人的にボクに向けられるメッセージは受け止めますのでどうぞご勝手に斬りつけてください。斬りつけられたと思う方が「勘違い」や「ナンセンス」だと思うならどうぞ。

ただ、そういう刃を今渦中にいる人たちには向けないで欲しいなと、ボクが勝手に切に願っているというだけです。

まあ、これを書いている今でさえ、自分の弱さや理解のなさを棚に上げて、それができていない人のせいにして、わかったフリして、自分が弱者のために一手に苦しみを引き受けているかわいそうな人だなあ、と思われるのが関の山だろうなあ、と思って書いています。「マイノリティのパイオニア」とか肩書きつけてやる資格なんぞ、コイツになんかね~くせして、とか思われるんだろうな。

そういう風に思うもんなんだよ、といくら言っても、それは、出来ていない人、かわいそうな人と捉えられてしまうんだろうなぁ。

相手に求めず、自分が変われ、というのも確かにそうだし、正しすぎて何も言えないけれども、乗り越えた人はその苦しみや痛みをわかっているはずなのになぁ。だとしたら、もっといい伝え方があるはずなのに。

いろんな記事を取り上げてみたり、そこに感じるものを伝えていくときにも、そこにヤラれている当事者だけが、共感したり、それをさらに拡散していく、というのを目の当たりにしていくときにも、同じようなことを痛感します。「俺も苦しんだんだからお前も苦しんで乗り越えろ」という風に捉えられてしまうのはボクの屈折でしょうか。そうして、ボクは渦中にいる当事者に「強くなれ」と言うしかないのかな。

いつも、こういうやり取りは不毛な結果しか生まないのかな。少し残念な気がします。たまたまかもしれないけれど、先週も昨日も今日も「認めて欲しい」想いが強くあるクライアントさんでした。まあ、3人とも何かは伝えられた気がします。その方の環境で、今の社会で、その方の精神的状態で、そう思うのは当然だとボクは感じました。その気持ちだけは汲み取ってあげた上でのいくつかの提案をさせていただきました。その方たちが救われたのか、何か進み方を参考にしてくれたのか、そんなことは確認していません。それもクライアントさんがどう思うか、これからどう受け入れて変わっていくか、の問題なので、ボクはこのまま求められれば、寄り添っていくだけなんだけれども。

まあ、今はそれでいいかな、と思います。

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2013年1月21日 (月)

関係性

最近、いろんな形で、いろんな人に、いろんなことをどう思うか、訊いてみたりしました。それは、ボクの中でいろんな疑問が出てきたり、自分独りで解決できそうにないと思ったり、解決しているけれど意見や考え方を人はどう思うか訊きたかったり、理由はさまざま。これを読んで思い当たる方は何人かいると思います。だれそれ構わず相手の都合も考えず訊きまくったわけでなく、どうしても訊いてみたい人に、それぞれの方法を考えて、いろいろ訊いてみました。アクセスした方の中には都合が合わなかったり、ボクの配慮が足らず無理を強いたりした方もいます。なんの迷惑も感じず応えてくれた方もいるし、無理して時間を割いて意見やアドバイスや反論を訊かせてくださった方もいます。ボクの求める気持ちだけで、真摯に応えてくださった方にはものすごく感謝をしています。

当然のことといえば、当然のことだけど、そのアドバイスや意見通りのことを、ボクが選択できないこともあります。それは、意見の食い違いだったり、視点の違いだったり、能力や精神力や体力の問題だったり、信念の問題だったり、いろいろです。ただ、ボクはどのお話もありがたく受け止めるし、できなかったことは申し訳なく思います。好き勝手なことを相談しておいて、意見を求めておいて、そのとおりにしなかったって、どういうわがままよ、って思われたり、自分が申し訳なく思ったり、そこもいろんな感じがあります。まあ、でも、それは仕方ないな、と思って欲しい感じはします。双方の尊重の仕方にも違いがあるし、妥協だったりする場合もあります。逆に、すごい気づきをもらったり、ない視点をいただいて参考になったり、時にはそれで視界がパッと広がることもあります。でも、どの場合であっても、無駄だとは思わないし、ボクから相談受けた方もそう思ってもらえるとありがたいな、とは思います。ボクが相談するばっかりの関係性もあるし、ボクが相談受けるばっかりの関係性もあります。それもお互いが合意の上であればいいと思っています。ま、とにかく、ボクがその気持ちをうまく表現できなかったとしても、何も変わっていかなかったとしても、全部大切に真摯に受け止めているので、ご理解くださいね。

そして、これも当然だけど、ボクも相談を受けるときや、セッションという形でカウンセリングやコーチングをするときも、同じように考えていて、相談者やクライアントさんが思い通りにならなかったとしても、それはその方の選択だと思っています。ボクは腹も立たないし、物理的に相談に乗れないときやセッションできないときは、ちゃんと真摯にお断りしています。その方がその上でボクとどのように付き合っていくかを選択していただければいいと感じています。

至極当たり前のことを言っているようですが、なんか、わざわざこんなことを書くと言い訳がましく捉えられちゃうかもしれません。

何が言いたいかというと、これは相談事に限らず、日常会話でもそうですが、やっぱりいろいろ思うことがあって。もしかしたら、自分が相談するときよりも受ける側の時により強く感じているかもですが。これも当然のことですが、セッションでいうと、ボクはクライアントさんの主訴がどこにあるかをまず確認します。そして、そのクライアントさんが、その問題を解決しようとしているのか、何か違う視点を欲しがっているのか、ただ聞いてもらいたいだけなのか、整理して欲しいのか、を探ります。普通の日常会話でも何を言おうとしているのか、受け止めて欲しいのか、訴えているのか、共感を求めているのかを考えながら話しています。無意識にやることもあるし、努力してやることもあります。何も考えていない人もいるとは思いますが、たぶん、ほとんどの方がそうやってコミュニケーションをしているのだと思います。

そこで思うのが、やっぱり、人との違い。これは、常々ボクが言っている少数派とかマイノリティとか、そんなことでは全くなくて。当然のようにわざわざ言わなくてもわかるでしょ、と思うことやわかっているはずの前提を言わないでいると、意外と伝わっていなかったり、案外多いです。それは双方によくあるとボクは感じます。

使う表現や言葉の解釈の違いもよく感じます。まだ、対面セッションだと、雰囲気や仕種や言葉の間などで理解できる時もあるけれど、食い違っていることが多いです。それが、その場でうまく伝え直せたりできればいいのだけど、お互いの勘違いのまま話が進んでいったり堂々巡りだったり、時には喧嘩のようになったりもします。

特に、ブログなどの発信の場では、普通にみんなも感じていることは、あまりあえて書かないし、違和感に感じていることだけに執着して書くから、その視点でしか物事を見ていないように捉えられることもあります。偏った考えしか持っていないようにも感じられてしまうようなこともしばしばあります。それは、たぶん本当に分かり合っている間柄との会話の中に他者が入ってくるときにもよくあって、10のことを伝えるのに3伝えるだけで済む間柄でも、9くらい伝えなければならないことになっていまう時もあって。ときどき面倒に感じてしまう時も正直あります。

単語で言うと、ボクはよく「ポジティヴ」「ネガティヴ」という言葉を使うけれど、必ずしもその視点でしか見ていないということではないことも多いです。その方が伝わり易いかなと思って表現していると、そうじゃない視点で、ということも言われるし。いやいや、そういうことではなくて、というのもよくあったりして。例えば、ボクは今回の退職・起業についてや、姉とのやりとりを書くときにたくさん「覚悟」という言葉を使ったけれど、それは本当の起業に向けた「覚悟」としては足りないという人もいるし、そこまでの「覚悟」は今は必要ないんじゃないかという人もいます。それは、説明はするけれども「覚悟」という言葉でしか表現されていないし、ボクや人がどんな「覚悟」をしたかは伝わっていないことも多いです。しかも、単語だけでなくて、起業に対してする「覚悟」の必要性のレベルの考え方もさまざま。起業をするための「覚悟」だけを言う人もいれば、起業してからの軌道に乗るまでの「覚悟」を言う人もいるし、軌道に乗ってからもずっとつきまとう「覚悟」まで言う人もいます。ボクはいくらその最後の部分まで「覚悟」したよ、と言っても、そうは見えない人もいるし、本当にボクの「覚悟」が足りない場合もあります。もっと言うなら、正解っぽい「覚悟」をしたって、結果的に必要ない場合もあるし、どんな深い「覚悟」をしたって、想定外の事情がやってくる場合もあります。たとえば、自然災害とかね。そんなの、なにも正解はないし、その「覚悟」で、足りなかったり「覚悟」しすぎて多少無駄な努力をしたことになるかもしれない結果がやってくるというだけ。それは、必要な「覚悟」だったということもできるし、無駄な努力とも言えます。そのとき必要なくてもあとで必要になる「覚悟」だったりするかもしれないですよね。そんなの誰にもわからない。ボクは無神論者だけど、「神のみぞ知る」って感じです。もしかしたら神様も想定していないかもしれないです。本当の自分の無意識に目を向けるという意味で「自分捜し」という表現も時々使うけど、「自分捜しなんてもうやっていないで今やるべきことをやれ」と言われる時に、結局は「本当の自分に意識を向ける」という意味で全く同じことを言っているような場合もよくあります。そういう不毛で無意味なやりとりを「馬鹿げている」「疲弊するだけで無駄」という人もいます。だけど、そこって結構重要だったりする場合もあります。本当に無駄な場合もあるけど。

それを自分で選択してやっていたとしても、別にいいと思います。無駄だと思う人はしなければいいし、ボクのブログやつぶやきはスルーすればいいと思います。まあ、目に留まるだけでも迷惑だ、と思われる場合もあるけど、それなら無視するなり見ないように繋がり切るなりすればいいと思います。ボクはしないけどね。

今回の相談や意見交換は、今のボクにとっては必要だったというただそれだけ。そこに巻き込まれたと思う方はごめんなさい。関係性を持とうとする双方の、ただの、気持ちだったり想いだったり愛情だったりだと思います。それが、押しつけでなくコミュニケーションであって、理解されたとか解ってもらえたとか素敵なことを言ってもらったとかの満足の結果だけだと思っています。

これから、セッションで身を立てていこうと思うボクにとっては、その辺をとんちんかんにやっていれば、クライアントさんは離れていくし、新しくやって来ないでしょうね。

そんなことを思ったりする今日このごろです。また、わけわかんなくてすみません。コミュニケーション能力もう少し磨きます。

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2013年1月20日 (日)

起爆剤

仕事が忙しくなったということもあるけど、ブログが書けていない他の理由がないわけではないです。でも、何も発言できなくなってしまっているというほどでもありません。しばらく、更新がない場合もあります。万が一、楽しみにしている方がいらっしゃったら。ごめんなさい。

今日も、何か深く思っていることを書く感じではないんですが、いくつか気になったことがあるので、少しだけ書きます。

まずは、1月14日付けのシネマトゥデイから。

↓「ジョディ・フォスター、同性愛者であるとカミングアウト! 『第70回ゴールデン・グローブ賞』」

http://topics.jp.msn.com/entertainment/movie/article.aspx?articleid=1615204

予想はしていたし、噂されていたので驚きもしなかったけれど、ついにカミングアウトしたか、って感じました。彼女は独身のまま子どもふたり産んでいるし、父親の名は明かしていないし、2007年にも匂わせる発言をしています。人工授精だとの噂も流れました。現在彼女はボクと同い年の50歳。彼女もこの年齢になってあえての公表です。いろいろ迷いながら公言したか、ボクと同じような決心をして公表したのかはわかりません。だけど、やっぱり、有名人のカミングアウトはインパクトがありますね。またいずれ、このことについてもっと思うことを書く機会があるかもしれません。

続いて、同じ14日付けのCNNニュースから。

↓「フランスで同性婚反対デモ、数十万人参加」

http://www.cnn.co.jp/world/35026850.html

これは、結構ぶったまげました。これを知ったのは、セクシュアルマイノリティの方たちと3人でいた時だったので、「なんで反対するんだろうね」と話題になりました。まあ、嫌悪感がある人がいることは認めているにせよ、少子化や宗教的な視点から見て反対意見もあるにせよ、人権的な点で同性婚の選択肢があってもいいんじゃないかと思っているボクにとっては、「反対デモまでしちゃうのね」っていうのにびっくりしました。3人で「普通に嫌悪感があると言われた方がまだいいよね~」と共感しましたが、一般の方たちはどう思うんでしょうね。法整備にもいろいろ問題はあるんだろうし、そういう意味で難しいというのは、納得できるけど。まあ、まだそんな世の中だな、って感じました。ボクは自分が結婚したいわけでないので、どちらでもいいんですけどね。ただ、議論があってもいいかな、とは思っています。

そして、もうひとつ1月11日付けの東洋経済オンラインから。

↓「安倍政権で日本の性は保守化する~知られざる各党のLGBTマニフェスト」

http://toyokeizai.net/articles/-/12407?fb_action_ids=584621948218843&fb_action_types=og.likes&fb_source=other_multiline&action_object_map=%7B%22584621948218843%22%3A326556244119579%7D&action_type_map=%7B%22584621948218843%22%3A%22og.likes%22%7D&action_ref_map=[]

日本の場合はきっと反対デモにまでは発展しにくい感じがしますよね。でも、各党のマニフェストに「性同一性障害は対策が必要だが同性愛者については対策は必要ない」というものが見受けられます。セクシュアルマイノリティの方たちの中には、この理由だけで投票する政党を決めていた方も多数いるようです。ボクはまだ、公務員なので、自分の支持政党は公表しませんが、そこも、「まだまだそうなのね」と感じました。このへんについても、またいつかブログにするかもわかりません。

今日は、こんなところで。また更新滞ったら赦してね。

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2013年1月14日 (月)

拒絶感

昨日のブログを書いて、別件でいろんな方とやりとりをしてみて思ったことが。

どうして姉との件に限らず、ボクは何かの出来事を「拒絶」として捉えるのか、そこが問題なのではないか、と。過去繰り返している内省も、「拒絶感」がなければ、簡単に乗り越えられるのではないかと感じました。

う~ん、それは言えているかも、と思います。

ただ、一方で、そうなってしまったボクもいたって自然な感じがしました。だってさー、仕方なくない? ボクは50年もの間、ずっと、一般の男性はこうするものだからそうしなさい、そうして欲しいと、近しい人たちから言われ続けていたんだから。それをちょっと違うし違和感感じるんだけれど、という気持ちと、自分の気持ちを抑圧して生きてきたんだから。その違和感の根源はいつもマイノリティであることだったわけだから。おそるおそる「ボクはこう思うんだけど、そうしないといけないのかなぁ」という時に、必ず「それは望まない、こうして欲しい」と言われ続ければ、誰だってこうなっちゃうよね。誰でも全く同じ人はいない、それは誰もが感じているとしても、圧倒的に全体に「普通」の部類に入る人たちは、違う部分だけを摺り合わせていけばいけばいいけど、なんでもかんでも少数の部類に入ると、それはたとえ全否定じゃなかったとしても、「拒絶」だと思わされてしまうと思うんですよね。そこをやりくりしていたボクは大変だったなぁ、と思います。

今はどうかというと、応援や理解もたくさんもらうから、このままでもいいのかな、と思えます。姉は近しい人だったし、身内に誰も理解者がいないのはそれなりにしんどいです。でも誰からも否定され続けているわけではないから、自分を信じることもできるんです。全人類からまだまだ弾かれていたら、カミングアウトも転職の決心もできなかったでしょう。そこに、自分を生まれ変わらせ、自己開示をモットーにし始めたから、やっと素直に自分の気持ちに従ってもいいのかな、と思えたんだと思います。マイノリティの人たちは、ここに50年も費やす必要など全くないのです。そこそこ生きにくいのは乗り越えていかないといけないと思います。それが辛くて嫌だから、隠れて生きるのもアリです。でも、堂々と生きたい人たちは、ボクのこの日々のつぶやきを参考にしましょうよ。

自然体になることが素晴らしいと感じながらも、拒絶感があると、自然体になっていけないことにしてしまうんですよね。一旦自然体になって楽になっても、それを開示した途端に拒絶で打ちのめされてしまう。自然体になるのも怖くなっていまうんです。すべてボクの中の問題ですね。でも、たくさんいると思う。多くの人の感じ方や考え方にやられてしまっている人たち。

もう今はたくさん仲間がいるから「拒絶」という感じはないです。今回はここに行き着くのにかなりの時間がかかりました。それは身内だったからね。でも、誰に対しても「拒絶」がまだまだ怖いのは事実です。それはこれからも感じるだろうし、「拒絶感」を感じる自分にダメ出しもしないです。そう生きてくることしかその時のボクの中には選択肢がなかったからです。だからこそ、みんなはどう考えるのだろう、人と違う違和感を持つとき、みんなはどう考えるんだろう、どう感じるんだろと、知りたくなるんです。それは、人の目を気にしているということでは全くなく、多数の人たちがどう思うか感じるかを知った上で、それと違うボクがどこを自己開示し、どこを今は時期じゃないと思い、社会の中で生活していくかの生き方です。手法のひとつに過ぎません。なんでもかんでも自分の意見や感覚をごり押しし、理解しろ、というのではなく、視点を変えたら何も変じゃないでしょ、了見が狭いでしょ、ってことは、これからも言っていきますよ。

多数はだから当然、というのは、少数派に回ったら、通用しないですよ、という点にのみは、今のところやはり譲れないです。逆転してもなんら変わらないことについては別にこだわり無いです。数の逆転がありえないからそのままにしておくというのは、ボクにはできません。

「拒絶感」を問題視するのはボクの中では違っているんだと思います。それは、「拒絶」に感じるボクがこれからどうしていくかを咀嚼していく上での問題。ボクがこれまでの背景の中でそうなってしまったことはいたって自然なんです。とはいっても、「それ変だよね」と普通の方たちが思ってしまうことは、普通だし、ボクはその感覚を知りたいです。

ちなみにボク自身がどうしていくかは、書く必要あるのかどうかわからないけど、まあ、いつもどおり「拒絶が怖かったんだよねぇ、拒絶感じるしかなかったよねぇ、50年間辛かったよねぇ」と自分で言ってあげるだけです。これでずいぶん自然になれるので。今のところ最短に癒せるサイコーの方法です。ま、やり方は変わるかもしれません。

いまのところ、このやり方は変わりそうにないですね。ってか、思いっきり生まれ変わってやっと見つけた生き方だから、もう少しやらせてください。って、なんにもこの生き方するのに誰かに許可得る必要もないんだけれど。

どっか間違っていたら教えてください。まあ、言い続けますが、このまま進みます。

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2013年1月13日 (日)

不条理

ずっと思ってしまうことをここに書きたいと思っているのに、またかなり更新できずにいました。まだまだちょっと本音を書くのが怖い部分にやられているところもあり、それと関係なく3月いっぱいまでは後悔ないように本業に本腰を入れたいから、コントロールしたり整えたりしたいと思ってる部分もあったりと、書かなかった理由はいろいろありそうで。そこをいちいち言い訳するのも変だし、どうしても知っておかなきゃならないことでもないので、考えもしてませんが。まあ、そんな感じです、ということで。

で、何をいろいろ思っていたかというと、全部書くとまた長くなるので、そのうちひとつを今日は書こうと思っています。たぶん、それでも充分長くなる(笑)。

年末から年始にかけて、ずっとやられていた姉との件について、なんかこんなんじゃまだまだだよな、とずっと思っていました。何度も書くけど、「退職を賛成してもらえない」ということは全然想定済みで、それよりも「ゲイであることまでわかってもらってなかった」ということにやられていたんだと思うわけですね。それも大したことでもないといえば、その通りで。カミングアウトし続けても生理的に受け付けない人もいるし、そういう人にどうしても理解して欲しいわけじゃないです。ただ、身内はちょっと違うよね、って感じで。身内の中に、誰ひとり理解者がいなくて、本心を言うとみんなを苦しませるというのは、やっぱ、ちょっとしんどいなと。

やっぱり、生き方にしてもやりたいことに関しても、認めてくれて応援してくれる誰かが近くにいる方が理想といえば理想。思いきり祝福されてやらしてもらえるなら、こそこそやる必要もないし、やっぱり理想だよね。だからといって理解されなくても別に平気。ただきっと、「ゲイをカミングアウトした」のが多分ボクの本心をわざわざ思い切っていった最初の成功体験だったので、それも否定されちゃうと、モチベーション下がるな、って思っちゃいました。まだせめて自己開示してもいいんだというひとつの体験があれば、次の自己開示もできるけど、結局本音を言っちゃいけないのね、っていう風になってしまうと、やっぱり正直になるのは面倒くさいし、傷つけるくらいならやめておけばいいのかな、その方が楽かなって、思っちゃったわけですね。そこを何度もおんなじことをやっている、ちっとも成長がないと言ってしまえばそれまでなんですが。人生ってこうやって四苦八苦しながらいろいろ乗り越えていくんだと思うんですよ。そうやって思う人は勝手に思ってくださいって感じです。それに、みんなそう思うよな、ってボク自身思うから別に苦でもないです。同じ失敗をしていても、そこに進歩があればボクはボクのペースだと思っています。そうして、おんなじようにいろいろ本心を言っていきにくい人たちは同じように感じるだろうなと思うから、言っているわけです。結局、理想では理解や応援まで求めちゃうけど、それが得られなかったとしても別に平気だし、受け止めていくんですよね。理解を求めるのもいたって普通。求めちゃいけないわけじゃない。しかも、身内となればなおさら、と思います。

それをいつまでも進歩がないとか、前もおんなじことで悩んでいたじゃんとか、思われるのはいたって普通だと思うので、何も反論はありません。ただ、ボクの望みはいつもいたってシンプルで、存在の主張や発言くらいはさせてよね、非難しないで言わせてくれよ、ってくらいです。もちろん、理想は求めるから理解もして欲しいし応援もして欲しいわさ。別に人間の普通の想いじゃん。でも伝わらないから、せめて存在くらいは認めてよとか、発言くらいはさせてよとか、そうなっているだけです。

いつまでもうじうじしているとか、覚悟をまだまだ決められていないとか、ボクの中ではそういう問題ではないんです。ま、飽くまでボクの中の話ですけどね。問題は、どうしてこの繰り返しになるのか。でも、そこも簡単。ボクは多数の人のことをごく自然だと思っていて、だけど、ボク自身もいたって自然で、少数派だったとしても不自然とは思わないことにしたところにあると思います。多数の方と違う考えだとしたら、多数の方が自然と認めれば、自分たちは不自然になってしまう、それをやめたのはいいけれど、どうしても矛盾が起きてくるんです。そして、マイノリティが不自然にどうしても見えてしまうことに残念な感じを持つし、不条理な感じがする。それは、どんなに覚悟したって、やってくるんです。普通じゃないと、大多数じゃないと、不条理に思えてしまう感じ。認めてもらってないと残念に思う感じ。これは覚悟したって強くなったってまたやってくる。どんなに考え方を楽にしたってね。

これは理解ができてないとか、強くないとか、進歩がないとか、関係ないです、多分。繰り返したし、次は乗り越えられそうに思うから、また悩んで前に進むのです。そこを進歩がないとか後退しているとか、思いたい人は思えばいいです。別にそう思われても辛くないです。今回は身内だったからダメージが大きかった、過去の成功まで失敗になっちゃった、そういうことが想定外だったけど、身内に理解してもらうことは、社会を変えようとすることくらい難しい、それを痛感したんで、また強くなったし平気になったんだと思いますよ。

今回の落としどころは、早く成功して見せて、まあ、成功でなくてもいいんだけど、幸せそうになって見せて、それがいちばん姉の心配や不安を取ることにもなり、ボクも姉に心配や不安を与えることしか言えなかったこれまでのパターンから抜け出せるいちばんの近道だと思ったことでした。そもそも、反対されたってやめちゃうんだし始めちゃうんですよね。迷っていても仕方ない。ただ少しでも不安や怖れを少なくして、自信ややる気を増やしていく、今はそれだけです。

そうは言っても、まだまだ発言や発信が怖くなったことを全部は払拭できていないです。

1週間くらい前に、

そうか、ボクは今拒絶されるのを怖れているんだな。
きっとボクの願いは相当シンプルで小さなこと。
そんなささやかな願いすらも拒絶されそうに思っちゃっている。

拒絶されるのが怖かったんだね、豆腐。
そのまま存在していていいんだよ、豆腐。

そう言ってあげとこう、自分に。

という風に思考してみました。「不条理」さが「拒絶される」感じを生んでいるんだな、と感じました。

ある方から「豆腐さん」と「本当の自分」がボクの中にいるというようなことを言われました。前に書いた「ブラックな豆腐さん」と「ホワイトな豆腐さん」とは違った視点です。ボクは「豆腐さん」になることで生まれ変わったような気になっていたんですよね。だから「豆腐さん」は強くて平気、過去の50年間の自分から生まれ変わったことにしている。ここで「怖かったんだよね、豆腐」「存在していいんだよ、豆腐」の「豆腐」は達観した「豆腐さん」が生まれ変わってまだ3年も経たないよちよち歩きの「豆腐」に言ってあげている言葉。そして、生まれ変わる前の反発だけで生きていた自分も認めて癒そうとしているから、拒絶されていたことに強烈に怖れを抱く。そりゃあ、そうなるよな、ダメージにもなるよな、と思いました。

何言ってるのか、みんなさっぱりわからないでしょうね。ボク自身混乱の渦中で書き上げている文章だから、うまく言語化できていないですよね。

なんだか、泣き言のような言い訳のようなブログになっているのがもどかしい。でも、公開しようかな、と思います。なにかしら感じてくれる人たちがいるように思えて仕方がないので。

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2013年1月 6日 (日)

愛情

もう大丈夫と言いながらなかなかブログが更新できないのは、まだ自己開示に関して少し怖さがあったからだと思います。年末に家族へ退職の旨が伝えられないと書いたことは、今年に入って4日にクリアしました。ご心配おかけしました。

一応報告すると、姉のひとりは「残念です。分かりました」と言って、怒りが爆発しないうちに電話を切られた感じです。もうひとりの姉は「決めたからには失敗は許さんよ」と言ってくれました。そして、「何かあったらちゃんと連絡してね」と。理解と応援は求めずにちゃんと伝えることだけが目標だったので、なんとかひとりは理解まで得られたことが想定以上の結果という感じでした。

転職を決意した人たちは、家族に伝えることはみんな乗り越えていることだし、公務員という好条件から独立・起業は余計に家族を不安にさせますね。しかも、ここを努力して実績と自信をつけていく作業をずっと見続けていた人たちならともかく、突然告白されたわけだから、ボクの場合はなおさらだったと思います。そんなことも乗り越えられずにダメージ受けているようでは、起業なんて大丈夫かと多くの方々が思ったことと思います。

ボクのダメージはそんなところではなく、去年のゲイをカミングアウトすら本当には理解されていなかったことが、相当なダメージでした。というのは、ボクが同性愛者でも堂々と隠れずに自分に正直に生きていこうと決めたのは、このカミングアウトが唯一の成功体験だったからです。50年間ずっとできずにいたことをクリアして初めて自分の正直な気持ちを自己開示しながら生きていくことを決められたわけです。去年のカミングアウトも含めて遡って否定をされるということは、ダメージでした。しかも姉にとってボクが世間に公表できない「恥ずかしい存在」だったことが受け止めきれずにいました。そして、自分の気持ちに正直になることは人に心配の種しか植え付けないこと。これを押し通してまで貫いていくことは単なるわがままのように感じていました。

そこをどうして乗り越えられたかというと、結局は自分を信じることにしたからです。自分は間違っていない当然の選択をしただけで、それをどう受け止めていくかは姉の問題だということに割り切ったからだと思います。とはいえ、姉にとって何のメリットもないこのふたつの自己開示はやっぱり自分勝手な気もしていました。姉の心配を取り外すには、早くボクがこの選択でもそこそこ生活できる程度の安定した収入を得、しかも幸せに見えるようになることだと思いました。今は心配にしかならなくても、いつか心配をしなくて済む状態になる、そしてボクが「恥ずかしい存在」でなくなることだと思いました。いびつだった50年間と違う生き方をどうしても選びたいボクには、こういう選択しか今のところ見つかりません。この気持ちをさらに強固に焼き付けることで、なんとか払拭できて、姉に宣言をすることができるところまでなりました。

姉の心配は、ボクへの愛情だと思います。愛情の表現がボクへの理解や応援という形でなく心配という形でボクに向けられたんだと思います。それをわかればわかるほど、ボクにはダメージになっていきました。「愛」っていまボクが感じているいちばん尊いものだと思っています。こっ恥ずかしいのであんまり言わないけれど、実はそう思っています。でも、愛情って暴力という形でしか表現できない人もいるし、その表現はどんなものでもいいとは思っていません。それは理解しようとする姿勢だったり、気持ちを尊重することだったり、思いやりの方向に向くと、相互に拒絶感なく受け止められたり受け入れられたりするんじゃないかと思っています。ボクは今回、姉に愛されていることを受け止め、なるべく早く姉の心配を減らしていってあげることで、ボクの決心を正当化しようとしたのかもしれません。今はそれでいいと思いました。

セクシュアルマイノリティの人たちが苦しんでいることを自己開示できないで苦しいのは、自分自身がその事実を受け止められなかったり罪悪感を持ったりコンプレックスになったりするからだと思います。だけど、本人だけの問題ではなく、自己開示しようとする相手から理解されない苦しみだったり、拒絶される恐怖だったり、憐憫される屈辱だったりする場合もあります。そこでそれを乗り越える相当な努力よりも、隠れて隠して生きていく道を選んでしまうんだと思います。それをせめて当事者の近しい人たちは多少理解してあげたい姿勢を持って欲しいと思うのはわがままなんでしょうか。異性愛者の方は普通であるというだけで、そこを無視していってもいいんでしょうか。

ボクは自分の今回の経験を経て、再びそこに立ち返ってしまいました。結局ここに戻ってきます。それでもボクはやっとこの境地に来れた気がします。まだ退職して起業して、さらに豊かな生活を整えてからでないと説得力はありませんが、今は自分を信じ信頼し結果を作っていく、それだけだな、と感じます。

これから、公務員最後の3ヶ月、しかも繁忙期を迎えます。少し発信の頻度が減るかもしれませんが、理解あるみなさんは温かく見守っていただけると、非常に嬉しいです。力になります。よろしくお願いします。

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2013年1月 1日 (火)

2013年を思い描く

あけましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になりました。今年もよろしくお願いします。

昨夜は居酒屋「なべ」で年越しをし、美味しい年越しそばをいただきました。

2012_400

そして、そのあと近所の味鋺神社に初詣に行ってきました。

2013_400

お参りでお願いをしてはいけないんですが、今年に関しては決意を実行に移す時なので、うまくいきますように、とお願いしてしまいました。公表するのもよくないんですよね。

毎年1月1日にその年の抱負を10個挙げてきました。2012年の抱負は以下のとおりでした。

① 「マイノリティのパイオニア」の活動を続ける

② もっと体力をつける

③ セミナー「セクシュアリティ勉強会」を隔月で開催する

④ コーチングの場数を踏む

⑤ HPをリニューアルする

⑥ 健康に気を配る

⑦ 本業をこなす

⑧ 調理師免許を取得する

⑨ 映画鑑賞・音楽鑑賞を多少はする時間を作る

⑩ いろいろ丁寧に生活する

①③④⑦⑩は実行しました。あとはできませんでした。特に健康に関してはひどいもんでした。でも、ほかに大きなことをいくつかやりきれたので、いい年になったと思います。

今年は10個の目標を掲げずに、今の抱負を書きたいと思います。

いちばんは、3月の退職をつつがなく済ませ、来年2月起業の準備をしっかりしていきたいと思います。できれば、理解や祝福も欲しいんですが、そこは望まずに。紅白歌合戦での嵐の「ふるさと」と福山雅治の「Beautiful Life」と和田アキ子の「愛、とどきました」には泣きました。特に「Beautiful Life」の歌詞を改めて噛み締めると、今の心境にあまりにもぴったりだったので、震えました。

体は必要以上に大切にしたいです。ちゃんと体の声を聞き、健やかに過ごせるといいなと思います。

あと、手放した「闘い」の気持ちと「強さ」を求める気持ちをほんの少しだけ取り戻したいと思います。人を傷つけない程度に。そうでないと、転職という大事な局面を乗り越えていけなさそうです。「覚悟」と「忍耐」の年になるかもしれません。でも、来年の「飛躍」のために頑張ってみようと思います。

みなさん、今年もぜひよろしくお願いします。みなさんの力が必要です。

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