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介護

2013年5月 9日 (木)

愛別離苦

ぼちぼち日常を取り戻しつつあります。おかげさまで支障なく仕事に復帰できていると思います。前々回のブログで母への気持ちを書き、これで終わりにしようと思ったのですが、もう少しだけ書かせてください。特に前々回は介護を始めたときのことが多かったので、しばらく喪に服す感じを堪能したので、その辺を書きたくなりました。

母が亡くなった当日、姉もボクも間に合わず、病院で静かに息を引き取ったんですが、前日ボクが当番の日だったので、姉が帰ったあと、面会時間ぎりぎりまでボクが残り、「苦しい」「苦しいよね」が最後の会話だったと、先日書きました。

その時の写真がこれです。

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母がベッドの脇に手を出していたので、そっと握ってみました。そのとき、ボクは最初「頑張って酸素吸おうね」と声をかけていました。微妙に冷たいような、でも、温かいような妙な感覚でした。そのあと、ずっと手を握っていた数十分、ボクは最後の非言語の会話を皮膚の伝わる温度で、伝えあったと思います。 母に握る力はありませんでした。でも、ボクはあの感触を忘れません。あの数十分が充分語り合えた悔いのない言葉なき会話だっと思います。10日過ぎた今、余計にそれを感じます。 伝え合い、感じ合えました。今は、「やっと、苦しみから解放されたね、ゆっくり休んでね」という気持ちしかありません。

今日、ある方とお話をしていて、このときの感覚が蘇ってきました。通夜式前の湯灌のとき、姉は率先して湯灌師のもとで体を洗ったり、口紅を入れたり、体を拭いたり、最後のふれあいをしていましたが、ボクは一切触れようとは思いませんでした。姉の目にはそれがもしかしたら冷たく見えたかもしれません。でも、ボクは今思うと、あの前日の熱くも冷たくもない微妙なてのひらのぬくもりを、母と最後に交わしたふれあいにしておきたかったんだと思います。あれを最後にしておきたかったんだと思います。

あの数十分間は、言葉こそ交わさなかったものの、言葉以上のメッセージを交わし合いました。おそらくそれがあったから、何かやり残した悔やむ感じがないんだと思います。ボクはてのひらを通じてエールと感謝を伝え切ったとも思います。そして、母は一生懸命酸素を吸って、力尽きていったんじゃないかと。ぎりぎりまで頑張って生きたと思います。「もう苦しまなくていいよ、ゆっくり休んでね」、それは、「もう、ボクのことも大丈夫だから心配しなくていいよ」って想いも含まれていたように感じます。それでも、まだまだ両親はボクのことを心配しているかもしれませんが。

通夜式と葬式の間、ボクは喪主をしっかり努め上げたくて、気丈に振舞っていました。泣きませんでした。勉強会も弱音は出しませんでした。姉は泣き崩れていたし、今は体調を崩しています。ちょっとやばい瞬間もあったけど、母が亡くなって以来、涙を流していません。それを冷たいという人もいるけれど。今日、お話していた人に「豆腐さんは強いね」と言われました。自分では「強い」なんて思ってないし、むしろ弱っちいと思っています。だけど、ボクの愛情はこういう風です。母の望む愛情かはわかりません。今は母に「愛されよう」とはしていません。ただひたすらボクの方法で、ボクの感謝と愛情を注ぎます。こうして忌が明け、喪が明けるまで、ボクは同じ想いを伝え続けると思います。もしかしたら喪が明けても死ぬまで伝え続けるかもわかりません。

告別式の挨拶で「残された我々が、元気に幸せに生きていくことがいちばんの親孝行だと思います」と言いました。ボクはこの方法でボクの思う親孝行をしていきます。だから、新しい仕事も成功しか考えていません。それは、好きな仕事を気持ち的に全うすることなのか、たくさんの収入を得ることなのか、そのへんはまだよくわかっていません。結果的に親孝行になるような人生にしていこうと思います。

もう、今後、あまり母のことは書かなくなると思います。ボクの中では、今日のブログでひと区切りにします。毎週の法要、三十五日法要、一周忌、三回忌と振り返っていくたびに何か思うことを書くかもわかりませんが、一応、今日これを公開したら、母のことをみなさんに公表する想いはあまり出てこないように感じています。新しい日常を作っていきます。

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2013年5月 1日 (水)

極楽往生

先日、少しだけとりあえずのご報告をしましたが、母が4月27日午前8時58分に逝去しました。

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思うところはたくさんあって、まだうまくまとまりません。ずっと覚悟はしていたとはいえ、急のことでした。入所していた特別養護老人ホームに、緊急入院していた病院から戻ってから、わずか3日でまた集中治療室に救急車で運ばれ、こういう状態ではもう面倒は見れないと言われた直後の出来事でした。21日に運ばれ、26日の朝、一旦意識がなくなり、意識が一時的に戻ってから、翌朝亡くなりました。26日の夕方までそばにいましたが、最後に母と交わした言葉は「苦しい」「苦しいよね」って会話でした。特に感謝を告げる間もなく亡くなりました。最後は少しずつ脈が弱くなり、苦しむことなくすーっと息を引き取ったようです。もう、これ以上苦しまなくて良くなったね、というのが、その時の気持ちでした。死因は「肺塞栓症」。享年86歳。前日に、最悪の時人工呼吸器をつけるかどうか相談したところでした。

思えば、最初に母が介護状態に入ったのが2001年の11月だったので、11年半は結構苦しんだと思います。母の介護をしながら、いろいろボクができなくなってうつ病になったのが2006年の7月でした。ここのブログに日常を書く前、別のプロバイダでうつ病日記を書いていた頃の日記を読み返してみました。2007年3月7日の日記です。

昔から悪かった視力が更に悪くなり、母は1998年6月に網膜疾患により身体障害者5級に、その後すぐに3級になりました。その前後からかな、食事の世話はボクがやるようになりました。決定的だったのは2001年の11月に部屋で転倒して右手首を骨折したとき。骨粗鬆症も相俟って骨はクラッシュし、普通のギブスじゃ固定しきれず入院して動けないようにしました。ここで認知症が発症、病院の3階の窓から家へ帰ろうとしてベッドに縛られ、薬もどんどん強いものになってゆきました。母には譫妄が現れ、病院では手に負えず、骨が多少固まったところで強制退院、ここから辛い介護生活が始まりました。誰もいないのに「うるさい! 黙っておとなしく座ってなさい」といない人に話し掛けたり、家にいるのに「お邪魔しました」って出て行って徘徊したり、その都度、怒鳴って泣きながら説得する日々。母には理解が出来なかった。看護士に「ボクには介護できないっ!」と泣いて相談したりしました。それから、家を出ようとするときは「一緒に帰ろうね」と言って近所を手を引いて一周し「着いたよ」って悟してあげるとかいろいろ対処法を覚えました。嫁いで昼間だけ様子を交代で見に来る姉貴たちの反対を押し切ってその年の12月に介護認定を受け養介護3に。翌年1月から2泊3日のショートステイと週2回のデイサービス、週2回の移動入浴を開始、現在は薬を整理し認知症はかなり改善して、昨年10月からは更に目が悪くなり身体障害者2級に放ったけれど、ショートステイもボクの病気のせいで2週間まで延ばしました。今日からショートステイで母はいません。今月は20日間。負担が減るので多少でも調子上がるかもしれないです。自由になれる20日間です。

その20日後から母は特別養護老人ホームに入所しました。そのころの日記を読むと母を施設に追いやった罪悪感でいっぱい。2007年3月から母は家で過ごすことはなくなりました。通院で家に寄ることはありましたが。施設に戻れないことが決まり、帰る場所がなくなった、と思っちゃったのかもしれませんね。

施設に入所してからは、通院などの世話を全部姉に任せ、うつ病克服への日々をずっと過ごしました。何度かの復職を試みましたが、結局2010年8月23日に正式復職をして完治に至るまで約4年かかりました。それまでの間に、介護は専門職に任せ、ボクは家族としての声掛けが役目だと思うことにして、罪悪感を取りました。

いちばんの母との思い出はその翌年2011年の12月11日、ボクがゲイであることをカミングアウトしたときのことです。今でも姉は、「なんでそんなことを言ったの?」と思っているようです。母を苦しめるだけのような自分の自己満足だけを突きつけるようなやり方は良く思われていません。でも、その時、ボクと母の間に強い絆ができました。ボクの「母を施設に追いやった罪悪感」と母の「介護のせいでボクをうつにした罪悪感」がお互いに取れた、素晴らしい1日でした。ボクの結婚をいちばん望んでいた母にはショックがなくはなかったかもしれません。でも、50歳近くなったボクに、もう結婚は諦めていたようで、あっさり受け入れられました。

そのあとの母の心配は、なんとか、ボクに公務員を定年まで勤め上げて欲しいという想いでした。とうとう、ボクは退職したことは告げられませんでした。自己開示をモットーにしていたボクの苦渋の決断でしたが、いつか収入も安定して幸せになっていることを堂々と見せてあげられる日が来たら報告しようと思っていたので、まだボクにはできませんでした。ボクにとっての幸せは、退職という事実だけでは伝わらないと思ったので。

今回の訃報を聞いた多くの友人が、「お母さまは、わかっていたんだと思うよ」と言ってくれました。そうかもしれませんが、そこはよくわかりません。姉は、「いつもお母さんはお前のことだけが気がかりだと言っていたよ」と言っていたし、先日は30年以上前に他界した父もいつも心配していたと姉から聞かされ、心が痛みました。

今でも、ボクが自分を貫くといつも家族に心配の種しか生まないという事実は失くなっていません。それでも、ボクは自分の道を貫き続けるわがままな人間です。退職を決めてから現在も多くの人にわがままだと言われます。

でも、たくさんの方が言ってくれた「きっと豆腐さんのことを見守っていて、門出を見届けて亡くなったんだよ」という言葉を大事に想い、ボクもそう信じていたいと思います。

母は、最後の十数年、苦しいだけだった人生だと思います。ボクが招いた苦しみもたくさんあったと思います。告別式の挨拶で、喪主のボクは「残された我々が元気に幸せでいることが母へのいちばんの恩返しだと思います」と挨拶しました。母のためにも、ボクは幸せになる選択をしたのだと思えるような人生に、これからをしていきたいと思います。

賛否両論ありますが、母の亡くなった日に、母と一旦お別れをしてから、勉強会を決行しました。次回は、勉強会の報告のブログを書きます。

忌明けまで、しばらく母を悼ませてください。でも、来週から仕事を開始します。応援してくれたみなさん、本当にありがとうございました。

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2012年10月11日 (木)

また入院

今日は結構大変な1日でした。まあ、普通にリハビリということで、今日は退院後初めて職場近くまでバスと地下鉄で往復行ってみました。歩くのも慣れてきて、名古屋駅も端っこの方をとぼとぼ歩くわけでもなく流れに溶け込むことができました。来週から何とかなりそうです。

で、なぜ今日は「また入院」というタイトルかというと…ボクのことではなくて、実は、午後、連絡が入り、母がまた救急搬送されました。病名は「肺動脈血栓塞栓症」。いつ呼吸が止まるかわからないということで、相当の覚悟を持って病院のCCU(冠疾患集中治療室)に駆けつけました。両肺が血栓で詰まってしまっていて、かすかな隙間から息をしているらしいです。駆けつけたときはボクが誰かもわからない状態で、血圧も血液中酸素濃度も低く、かなりいろんな思いが頭を過りました。少し落ち着いたので、一旦帰宅することになり、今は家にいますが、一時は延命治療をどうするかで意見をまとめてくれと言われ、覚悟をしました。もし人工呼吸で肺を圧迫すると肋骨が折れるということで、呼吸が止まった時にはどうなってしまうのか、心配と言えば心配です。病院に行く道すがら、いろんなことを考えたし、悩んだり迷ったりしました。数日は、ちょっとはらはらどきどきです。

そういえば、3月28日の心臓発作記念日をやり過ごした直後も母が救急搬送されました。その時は命に別状はなかったけれど。そうして、今回退院して回復しそうな矢先にまた救急搬送。母はボクの健康と引き換え? まさかね…。でも、そんな風に思っちゃったりしました。

今日は少し料理をしようと思ったけれど、そんなこともあり、簡単なものになってしまいました。きのこ月見うどんを料理ブログに載せました。おとといの豚肉の生姜焼きも昨日の料理ブログに載せてあります。

↓「豆腐の Cooking Life」/きのこ月見うどん

http://ameblo.jp/torff/entry-11377207740.html

↓「豆腐の Cooking Life」/豚肉の生姜焼き

http://ameblo.jp/torff/entry-11376408055.html

そうそう、あと「第6回 セクシュアリティ勉強会」のチラシが出来上がったので、詳細を追記したうえで、9月30日のブログを修正してアップし直しました。

↓「豆腐の Ordinary Life」/「第6回 セクシュアリティ勉強会」のお知らせ

http://escape33.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-912f-1.html

そんなわけで、自分自身も環境もとても不安定ですが、いろいろしっかり見つめて無理をせず、進んでいきたいと思います。いろんなお約束をしている方、ドタキャンしたらごめんなさい。

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2012年9月17日 (月)

敬老祝賀会

おととい昨日と休息に充てましたが、いまいち疲労感回復しないまま、今日は無理やり起きて、母のいる施設の敬老祝賀会だったので会いに行ってきました。午前中は、施設からの報告と説明でした。そして、昼前から、入所者の家族との懇親会でした。

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と、去年まで、ここの食堂でほかの入所者家族の方々と交流してたんですが、今年春の懇親会から母は腰が悪くなって動くのが大変ということで、母の部屋でいっしょにお弁当をいただくことに。今年、春の懇親会はボクの本業が多忙だったんで姉に代わりに行ってもらったんで、部屋で母と親子水入らずというのは久しぶりでした。

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まあ、こんな感じでありきたりのお弁当でしたが、今日の母は比較的調子が良く、刻み食にすることなくそのまま食べるということで、エビの殻を剥いてあげたり、魚やエビのてんぷらのしっぽを取ってあげたりしました。

そして、数時間ひととおり愚痴などを聞いてあげたり、今度のボクの手術の説明などをして、穏やかな午後を過ごしました。

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とは言っても、安定のために公務員を辞めないで欲しいという切なる願いを持っている母に、転職の話はしませんでした。ってか、辞めても話さないかも。元祖自己開示ストのボク(はじめて言ったけど(笑))としては、悔しいところだけど、今日はお年寄りを敬う日ですからね、母に和んでもらえればそれでいいかな、と。最近、あんまり、覗いてなかったから、春と秋の懇親会くらいはね、会いに行こうと思います。

今日は、穏やかな気持ちになれた1日でした。さ、また明日から働こ。

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2011年9月19日 (月)

敬老祝賀会

今日は敬老の日でしたね。今年最後の暑さですか。台風も近いようで。

母のいる施設、特別養護老人ホームで、今日利用者と利用者家族の交流会「敬老祝賀会」がありました。毎年、桜の時期の交流会と敬老祝賀会の2回が催されるので、なるべく毎回参加するようにしています。今回も、何とか参加しました。

朝10時からだったので、9時には出かけました。少し自転車で走って、後はバスで。ちゃりで走るには気持ちいい気候でした。

家族懇談会が10時から11時半まで。これは、事業報告と、担当医師からの看取りや緊急時対応のお話でした。少し眠くなったけど、大事な話なのできちんと聞いてきました。

11時半から1時間、食事会と敬老祝賀会でした。

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木管・金管楽器の演奏や落語の出し物がありました。1000円のお弁当はこんな感じ。

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そのあと、夕飯に呼ばれる5時ころまで、ずっと母のそばにいました。いつも、声が涸れるほど愚痴を吐き出す母ですが、今日は穏やかでした。最近、自分のやりたいことを貫こうとすると、ときどき、母のことが頭を過ります。今日は、穏やかだったような、葛藤していたような、内省していたような、想いを噛み砕く1日になりました。7時間施設にいたことになります。

いろいろテキトーにでなく、選択する時期かもしれませんね。

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2011年4月10日 (日)

第二尾張荘 春の大交流会

携帯のメアド変更が完了しました。必要な方は連絡よろしくです。今日、施設に行って写真を撮ってもらおうとしたところ、カメラのレンズ外のカバーにひびが入っており、修理が必要と判明しました。昨日わかっていれば、auショップでそのまま修理に出したのになぁ。まぁ、仕事の帰りに職場近くのauショップに行った方が取りにも行きやすいのでチャンスを狙うかな。ちょっと携帯関連でばたばたし過ぎています。この土日ちょっと疲れたぁ。

さて、今日は母の施設の「春の大交流会」でした。

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ボクは目瞑ってるし(笑)。左下の影は携帯のカメラの不具合のせいです(汗)。

毎年の写真を見ると、母がどんどん衰えているのがわかりますね。その分ボクも歳をとっているわけだけど。とはいえ、今日は陽気もよく、母は割とご機嫌でした。夕方までいたので、今日はさらに結構疲れています。

もう、今日で土日の見ごろは最後と思われる桜もキレイでしたよ。施設に割いていた桜の花です。

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どっかの桜の木の下で、気の許せるメンバーと酒盛りしたかったなぁ、と思うボクでした。今日は早く寝るかな。

2010年11月16日 (火)

ペインクリニック

今日もごく日常的な1日でした。普通に早起きして、普通に仕事してきました。相方が来たので、普通に夕食も作りました。

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まず、恒例の今日のお食事から。今朝は独りだったので、朝食をきちんと作りませんでした。お弁当です。久々に少し元気のつきそうなお弁当です。ホタテのバターソテー・鶏もも肉の照り焼き・おくらとほうれん草のピーナッツ和え・高菜のごまラー油パスタ・ドライカレーライスです。常備菜なくなるまで使うからどうしても同じおかずが出てきちゃいますね。高菜がちっとも減らないからすぐごまラー油パスタになってしまう。

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先日、カレーを作った時のサフランライスがたくさんあって冷凍してありました。相方がそれを使った料理がいいと言ったんで、今日はサフランライス・ハヤシ・トマトスープ・えびクリームコロッケ・温野菜サラダのラズベリードレッシングかけにしました。えびクリームコロッケは出来合いの冷凍食品です。ラズベリードレッシングは、アメリカのお友だちから送ってもらったファットフリーのドレッシングです。まあ、美味しくできたので嬉しいです。

ブログに書きたいネタが山のようにあります。いつもその中から、いちばんその時点で書きたいことをひとつ選んで書いてます。お店のこととか音楽のこととか書きもののこととかいっぱい書きたいです。いつまでも書いていられると思います。特に夢に向かって何かを動き出した時は無性に書きたくなります。今思っていることを整理して残しておきたいのか、みんなに何かを伝えたいのか、よくわかりません。ただ、楽しいから書いていたいだけのような気もします。

で、今日選んだ話題は、その辺のことではなくて、先日決まった母の治療のこと。押し潰れてしまった第二腰椎はもう元に戻りそうにはありません。それで、今回は、痛みを取ることに着目した治療に変えていこうということになり、今度からペインクリニックに通うことになりました。

う~ん、昔のボクなら、ただ目の前の痛みを取るだけでは根本の治療にならないと、反対したかもしれませんね。でも、今はちょっと違います。母が83歳と高齢であることや、治すことが難しいということもあると思います。別に治らなくても痛みが取れれば母はある程度幸せに余生を過ごすことができるんではないかと思うわけですね。

今のボクは80点取れたら満足、もしかしたら60点でも満足かもしれません。昔は100点でなければ、99点も0点も同じでした。でも、完璧は昔ほど求めなくなりました。それが、かなり楽だということもあります。それよりも自分を追い込み過ぎて体が壊れていくのでやめようと思いました。と言って、簡単に変わるもんではないですね。48年間培ってきた性格ですから。でも、回復して、勉強して、少しだけそれができるようになりました。自分の体も労わらないと好きなこともできません。

母への気持ちも、自分の理想を掲げて想いを正当化することには大して意味がないように思うようになりました。今の母は、多分、痛みが取れることがいちばん嬉しいんだと思います。まだ長い将来があれば、無理してもきちんと治してあげたいと思うかもしれないですね。今は少しでも長く楽に楽しんで生きてもらえたら、って思っています。

また、来週あたり、母の顔を見に行ってこようかなと思います。

ボクもいろんなところの見えない痛みを取った方がいいかな、と思ったり。いっぱい動いているけど穏やかな今日この頃です。

2010年10月 7日 (木)

母の施設に行ってきました

今日は、お仕事お休みをいただきました。何かあったわけでなく、最初から今日は休むことにしてありました。ひとつには、仕事があまりないこと。ひとつには、夏休みを取りきらないといけないこと。そして、休んででもやりたいことがあったからです。

それは、母に会いに行って、話を聞いてあげ、声かけをすること。

第二腰椎を骨折して、認知症が再発した母に、ボクはまだまだだけど今まで勉強したことを全部抱え込んで、いい聞き方をしてあげたいとずっと思っていました。ひとしきり、検査らしいものをすべて済ませた母に、今日の休暇は絶好のチャンスでした。

3時ごろ、母の施設に行ったら、堰を切ったように怒涛のごとく母は話を始めました。夕方5時半、夕食のお呼びがかかるまで、ずっとしゃべり続けた母。かなりのストレスをため込んでたと思います。そして、昼間は認知の症状が出ない母は、とても普通の老人でした。ボクが母を施設に追いやった罪悪感を持っていたように、母は自分がボクを鬱にして休職させたと思っていました。ボク自身の母への罪悪感は今は取れています。自分では施設や病院のような専門的な介護は無理だと今は思えるんですよね。そして、ボクは家族としての声かけをしていくのがいちばんの仕事だと思っているわけです。最初、認知症の行動に戸惑っていた時のボクは取り憑かれたようでした。でも、昼間は普通だった母。認知症の症状が出ているときに向き合っていたのはボクだけでした。周りに大変さがわかってもらえなかったことが、とても辛かったです。

あとで、認知症が治まった時に、母は自分がボクにものすごい迷惑かけたんだな、という想いが出てきて、「ごめんね、ごめんね。悪かったね、迷惑かけたね」と泣いて言ってくれた時がありました。ボクは「大丈夫だよ、大丈夫だよ」としか言えずに、一緒に泣いていました。その、ボクしか知らなかった行動をまたしてしまい、施設の職員に迷惑をかけているかもしれないと思っていることが母には耐えられなかったんですね。ボクにしか話せない辛さ、これは、ボクが聞いてあげるしかないのです。今、通院などを車を使ってしてくれている姉にも、施設の方にも、多分母は伝えきれない想い。おごりかもしれないけれど、ボクしか聞く相手はいないんですよね。幸い、今日は、母がとても心地よい気分で、かなりのことを話してくれました。2時間半喋り、まだもの足りなさそうでした。

ボクは母のできてないところには一切触れず、「ボクは介護が原因で鬱になったのではないこと」と「施設の方は仕事でやっていることだから迷惑と思わずに甘えればいい」ことだけを繰り返し伝えてきました。多分、母はかなり楽になってくれたと思います。ボクは、まだまだだけど、これまでで、いちばん上手な傾聴と声かけができたと思います。それも、いちばん必要とすべき人に。

これからできるだけ2週間に1度くらい、最低でも月1くらい、話をしに行ってあげたいと思います。

そして、もうひとつ、命の大切さを痛感する1本の電話を受けました。残念ながら、今はここに書くことはできません。だけど、今、頑張って生きている近しい人たちの命は大切に見つめていたいです。そういう人たちの想いもちゃんと受け止めたいです。大事にしてもらって、ボクも大事にしたい人たちがたくさんいる。このことを幸せに感じたいです。

みんな、自分の人生を大切に生きてね。下手でもいいから、大切に生きてください。

ありがとう。

2010年9月13日 (月)

人間関係の構築について

“介護”と“勉強”のカテゴリーを増やしてみました。“勉強”の方は、コーチングなどの勉強のほか、漢字や英語の勉強のことも書いていこうかな、と思っています。で、今日のタイトルとカテゴリーが合致してないようにも思いますが、中身を読んでもらえるとわかると思います。

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いつもどおり、今日のお弁当の画像からです。あれ? お弁当箱がもとに戻ってるじゃん、って感じですが、先週の栄養指導で、もっと食えってことだったんで、今日は戻してみました。今日はお肉もお魚も入れて、結構ボリュームあったので、小さいほうのお弁当箱でもよかったんだけど、今後は入れるもののカロリーによって、どっちのお弁当箱を使うか決めて、併用していきたいと思います。

さて、実は、昨日、かなり充実していたかのようなブログを書いたんですが、ブログ書きあげてから、姉から連絡があり、母が腰の痛みで暴れまくっていると施設から電話があったとのことでした。そして、昨日は、夜の10時ころから、施設に向かうと。しかも、準備で忙しいからと直接電話してきたのは義兄(姉の夫)で、かなりの慌てようで、施設の方も救急車を呼ばんばかりの対応だったらしい。ボクもいつでも出かけられる用に覚悟をしていました。たまたま母の隣室の面会の方が外科と内科をやっているお医者さんだったので、掴まえて、母に緊急性があるかどうか診てもらったようで、救急車とまでは行かずに済みました。ゆうべは座薬で痛みが治まったらしく、今日たまたま前から決まっていた国立病院で整形外科も行くことになり、大騒ぎは収まりました。

でも、今日の診察の結果は「第二腰椎圧迫骨折」。これから2ヶ月間は座薬で痛みを止めながらの車椅子生活になるらしいです。もしかしたら今の母の状態で2ヶ月も車椅子生活が続くと、さらに足腰が弱り、リハビリに至るかどうかもわかりません。最悪、このまま寝たきりへと進んでいくのかもしれない覚悟をしているところです。幸い、入院とかはせずに、ほぼ背中全面のコルセットで固定して治していくことになります。母は第三腰椎と第四腰椎を昔に粉砕骨折したこともあるし、高齢で骨粗鬆症にもなっているので、簡単な尻もちでも圧迫骨折をすることもあるそうです。しかも、膠原病治療で使っているステロイド剤が骨を弱くしてる可能性もあるらしくて、まあ、仕方ないのかなぁって感じです。

ゆうべ、いろいろこんなことがあったので、普通に寝たんだけど、敬老会の疲れも残っていたのか、今朝は大寝坊してしまいました。携帯のアラームもばたばたして忘れちゃったんですね。起きたのは、もうとっくにいつもなら出かけている時間。でも、それからお弁当をやって、いつも座って行けるバスではなく、ぎゅうぎゅう詰めの電車で慌てて出勤しました。途中、走って走って、職場に着いてカードを通したのが8時45分3秒でした。う~ん、3秒間に合わず。まあ、記録には分単位までしか残らないから、何とか遅刻ということにはならなくてホッとしました。汗だくだくになって思ったのが、やっぱり、職場前のゆとり持っての喫茶タイムは必要かなってこと。

昨日載せた画像が、昨日のボクの状態を如実に顕していますが、施設内ではボクのことを母の孫だと思ったようで、20代に見えたと姉に話したらしいです(汗)。さすがにそれはお世辞にしても、48歳には見えない程度に若々しくはありたいですね。帽子脱いだら一気に40代なんだけどね(笑)。少しご満悦です。

さて、本題(やっとかよ。前置き長すぎ)ですが。

今日は、最近気をつけている人間関係の構築です。つい先日も、何人かを傷つけていたので、とりわけ丁寧に構築しようと思っているところです。土曜日の飲み会で、自分の状態とゆとりに合わせて深くつきあう人についても、自分への影響も含めて考えた方がいいとは学んだりしました。もちろん、これまでの交友関係を崩すということではありません。ただ、勉強と称して無理な人間関係を頑張り過ぎると良くない場合もあるかもしれないというニュアンスです。別に人を選んでいるわけではないので、その辺はうまく伝わると嬉しいです。

今回、接触が苦手な姉との関係を、母の介護騒動でいろいろ感じる部分がありました。昨日、母とは上手な接し方や話の聞き方ができたと思います。今日は、前のボクを映し見るかのような、無理して頑張っているように見える姉に、多少でも楽になってもらえるような声かけをしました。それは、多少負担をボクに向けてもいいよ、というもので、必ずしも今のボクにはいい方法ではないかもしれません。もう少しの間、任せておいた方がいいかもとも思いました。でも、抱え込みすぎている姉は、いつかのボクのようでした。姉が鬱になるとは思えないけれど、抱え込みすぎて苦しくなる可能性を感じました。そして疲れてしまったり、倒れてしまったりする前に、自分が本当は昔にしてほしかったかもしれないと思う言葉を、かけてあげたんですよね。今でも、これがいちばんいい接し方かどうかはわかっていません。でも、自分の経験があったからこそ、かけてあげられた言葉だと思います。自分への負担はまた増えちゃうのかな。少し不安もありますが、苦手な姉への声かけは、してよかったと思っています。

少しずつ、失敗しながら、学びながら、いい人間関係を作っていけたらいいな、とつくづく思います。今日は半歩くらい前進できたかなって思っています。

HP、自粛から少しづつ公開に変えているので、もし、リンクを貼っていただける方は、よろしくお願いします。できたら、パスワード制のこのブログよりも、HPのトップページをリンクしてくださると嬉しいです。また、ブログとして再開したら報告しますが、「豆腐の Music Life」「豆腐の Cinema Life」「豆腐の Cooking Life」を公開にしました。新記事は音楽ブログしか書いてないですけどね。いずれにしてもよろしくです。

2010年9月12日 (日)

母の入所施設での敬老会に参加

昨日、帰ってきてからブログを更新したつもりでいて、今見たら下書きで酔っぱらった文章の記事があったので、いましがた昨日付けで慌てて更新しました。結局寝たのは3時か4時ごろで(実はいつ寝たかはっきり記憶がない)、今日は、母の施設へ敬老会の参加予定があったので、7時ころには起きないと間に合わず、ちょっと睡眠不足気味でした。まあ、それでも、とても無理したわけでなく、頑張らずに行くことができました。

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今、特別養護老人ホームに入所している母は、本来、自宅での介護を望んでいて、ボクがうつ病になり、介護をこなせなくなったので、入所してもらったものです。当時要介護3だった母は、介護できる人がいないという理由で、要介護4や5の人より優先で入所できたわけです。当時のボクは、自宅介護を望んでいる母を施設に追いやった罪悪感に苛まれていました。素人のボクより、専門職に介護を委ねた方が母のためにも家族のためにもいいことだと納得するのには時間もかかったし、辛い思いもしました。次第に母も共倒れになってはいけないと思い始めてくれて、別に無理やりに入所してもらったわけではありません。だから、これでよかったんだと思うことにしています。完全に罪悪感から解き放たれていないかもしれないことはちょっと感じています。

誤嚥したり咽たりしないために、特に朝食は10錠近い薬をひとつずつ、寮母さんに手渡してもらって飲んでいます。目に黄斑変性という障害を抱えている母は、もし薬を落としてしまうとひとりでは探せないため、シートから出して置いておくだけではまずいという経緯があります。ところが、ある寮母が先日、「どうしてこんな面倒くさいことをやらないといけないの? 薬くらい自分で飲んでちょうだい」と言ったことから母が人に迷惑をかけていることを気に病み、自棄になっていたことがありました。今は、ボクがうつ病で世話をできなかったため、施設からの通院を車を持っている姉がやってくれています。その姉が、この件で施設とやり合ってくれたんですが、当事者である寮母が上司である上に、自分が周りからあまり介護職に適してないと思われていることを自覚していないために、苦情案件で処理するか、内部処理で済ませてもらうか、話してくれていました。家族の意見としては、「改善してほしいだけなので、母が気に病まない解決ができればそれでいい。でも苦情処理として処分しないと解決を見ないのなら、苦情として実名を挙げて文書にしてもいい」というようなスタンスで意見を代表して言ってもらってきました。でも、かなり姉がこの件で消耗しているように見受けられたので、「そんなに頑張らなくても12日の施設の敬老会で、入所者家族の要望を聞かれる機会があるので、ボクが言ってくるから、無理しないで」と言ってありました。なので、今回は単に施設の報告を聞いて、他の入所者家族と交流をするだけじゃない、ちょっとした責任のある参加でした。結果的には、すでに母は環境改善されて、楽になっているようだったので、事を荒立てることなく、立ち向かう必要がなくて、緊張しての参加は途中から楽になりました。でも、報告会の途中、要望としてこの件が取り上げられた時は、何か話さないといけないのかと思ってかなりテンパりました。興奮せずにいかに適切な言葉で状況の理不尽さを話すか。

最近、お友だちから親を施設に入れたことを「非情」と言われたり、別のお友だちの親御さんが病気になられたりと、改めて介護について考えることが多々あったため、今日はより特別に物事がうまく運ぶといいな、と思っていました。だから、今すごくホッとしています。連日の過行動と相俟って、少し疲労感があります。でも、それと同時に、たくさんの入所者の方の笑顔も見られた瞬間でもありました。今は制度改悪で、前と状態が変わらないのに要介護度は1にまで下がってしまった母。2年後の再認定の際、要支援になってしまうと、特別養護老人ホームにはいられなくなります。ボクには、仕事もしながらまた自宅介護を再開する自信はまったくないです。もしそうなったら、どうするかな。そこに結論はまだ出ていません。今はそこを悩む時期じゃないと思っています。復職を順調にこなし、多少ゆとりができてから、そのときは悩まなければいけないかも、という覚悟だけして、今は考えすぎないようにしています。なにはともあれ、会うたびに皺が増えていく気がする母が、何とか嫌な思いをせずに、それなりに楽しく施設で過ごしてくれたらとても嬉しいと思っています。

今日は、食事のときに、出されたお弁当の、エビの殻を剝いてあげて、魚の骨を取ってほぐしてあげて、薬をひとつずつゆっくり手渡してあげて、点眼をしてあげて、その後、母の部屋に行ってじっくり話を聞いてあげて、「息子さん調子どう?」といつも心配してくれている婦長さんや事務の方に丁寧に復職の報告をして、とてもいい1日でした。少し、辛かった時期の日々が蘇ってきました。義務としか考えられなかった介護が、今日は優しい気持ちで接してあげられたと思っています。

最後にボクと母の今日の2ショットを載せますね。

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さ、これから、明日のお弁当のおかず作り頑張るぞっ、と。

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